司法精神医学で中四国の中心に

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地方独立行政法人岡山県精神科医療センター 理事長・名誉院長 中島 豊爾

中島 豊爾(なかしま とよじ)1962 倉敷市立味野中学校卒 1965 岡山県立旭高等学校卒 1972 岡山大学卒 同大学医学部神経精神医学教室入局 1973 高見病院勤務 1977 カナダブリティッシュ・コロンビア大学医学部研究員 1979 岡山大学医学部附属病院精神・神経科文部教官助手 1984 同講師 1998 岡山県立岡山病院院長 2007 岡山県精神科医療センター理事長・院長 2010 同理事長・名誉院長

■全国自治体病院協議会副会長 全国地方独立行政法人病院協議会会長 全国自治体病院開設者協議会参与 日本病院会常任理事・精神科医療委員会委員長 日本診療録管理学会評議員 日本司法精神医学会理事長 日本精神科救急学会理事 全国精神医療審査会連絡協議会常任理事 岡山県医師会理事・精神科部会会長 NPO法人岡山県精神科医会理事長おかやま被害者支援ネットワーク代表 岡山県精神保健福祉協会常任理事 岡山医師研修機構理事

 岡山県精神科医療センターの中島理事長は2011年3月11日、東京で東日本大震災のニュースに接し、同センターからの派遣準備を指示する一方で、岡山県精神科医会の臨時幹事会の招集を要請した。同センターの職員で組織された岡山県心のケアチーム「雪風」第一陣は、17日に宮城県登米市に入り、最初期の19日から本吉郡南三陸町で支援活動を行なっている。以後岡山県精神科医会の支援を受け、多くの施設が「雪風」に参加した。その時本部長を務めた経験から中島理事長は、DPAT(災害派遣精神医療チーム)の整備に尽力している。

―1998年から院長ですね。

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最上階(4階)にある理事長室前のベランダで撮影。理事長は高校時代文系クラスで、大学ではインド哲学を研究しようと思っていたが、急きょ医学部志望に変更したという。

 来た当初は社会的入院が多く、まずその人たちを退院させました。また標語がどこにでも貼ってある病院で、みっともないのでそれをはがして回りましたね。その標語を作る委員会もありましたが、それを含め法定で必要なもの以外は廃止しました。何か特別にやる時は、プロジェクトチームを作るようにしています。

また院長になった当時から、病院の建て替えの必要性を感じていました。

―病院は2008年に医療福祉建築賞を受賞しています。

 竣工は2006年です。「どうせ日建設計がかかわったら取れる賞だろ」なんて思っていましたが勘違いで、名誉な賞だと聞きました。良い病院を作ろうという思いが私と設計士のお互いにあり、賞につながったものだと思います。私の考えを理解してくれた設計士に感謝しています。

 県から出された条件は、建築費が設備費込みで70億、延べ床面積13,000㎡以下、入院施設は階数3までというものでした。与えられた条件で、いかに良いものを作るかということです。

 県庁の役人は「安いので長方形の建物にしろ」と言ってきましたが、良い環境を作りたかったので「口を出すな」と私は言いました。結局は今のデザインを許してくれたわけですから、県庁の役人にも感謝すべきでしょうね。

 特に、依存症の患者さんに怯える人も多く、他の患者さんと動線が重ならないように気を配りました。また児童思春期を診るようになり、子供たちへの環境に配慮しました。現在「子どもの心の診療拠点病院整備事業」を進めており、今年から児童を毎日診れる体制を整えています。

 本当は災害拠点病院にしたかったのですが「精神科単科の病院は前例がない」と言われ、あきらめました。また災害拠点病院ではないので免震構造も許可されませんでした。心残りではあります。

―病院建設と同時に独法化も進めています。

 職員を1人増やせば、数千万円の増収になる。しかしそんな場合でも、地方公務員には定数があるので県立の病院では人員を補強できない。これは地方公営企業法の適用を受ける病院に共通する悩みです。県庁の職員は削減していますから、病院の人員だけを増やせと言うのは無理な要求でしょう。しかし精神医療は人手と環境で治すものですから、増員は患者さんにとっても必要なことです。

 一方、2003年から総務省が病院の地方独立行政法人化を薦めていました。これにすれば、県職員の定数制限から外れることを知り「これだ!」と思いましたね。そういうわけで、2007年に地方独立行政法人になり、私が理事長に就任しました。現在は全国地方独立行政法人病院協議会の会長です。

 独法には2種類あって、非公務員型法人にしたかったのですが、2005年に医療観察法が施行され、公務員型になりました。このため、独法化に対する労働組合の抵抗はほとんどありませんでした。

―医療観察法病棟を作るためですね。

 独法化すると経済を優先しがちですが、自治体病院としての役割を果たすことは大切です。特に不採算な部門は民間病院が敬遠し、隙間となりますが、これを埋めるのが自治体病院の使命だと考えています。また司法病床は民間の病院では作ることができません。民間が担えない役割を果たすことにも大きな意味があります。

 医療観察法に個人的には反対で、小泉内閣のプロジェクトチームで座長だった熊代昭彦氏に会いに行きそう伝えました。しかし施行されたら先駆けて作るべきだとも思っていましたから「制定されたらいの一番に作ります」とも言いました。この法は2003年に制定され、病床を作るためには知事の許可が必要と定められます。知事にとって許可は今後の票に関わることなので、一つの壁だと思いました。

 当時の石井正弘知事(現参議院議員)は全国知事会の道州制特別委員会委員長で、岡山を州都とする中四国州を提唱していました。中四国が一体なのは、広島県の発展を石井氏が強く意識していたからです。それで「司法精神医学で岡山を中四国の中心にします」と言って説得してみました。この発言は石井氏の目指す岡山県に合致したようです。それで2007年に全国で2番目に整備することができました。精神鑑定をもとに入院が必要だと判断された場合、地元に帰すことが原則ですが、兵庫や四国に現在医療観察法病棟はないので、県内に加えこの5県の出身者も当院に来ています。

 以前は240床の病院で、建築の際1割減の216床になる予定でした。しかし途中で設計変更し、医療観察法病棟のフルサイズ33床に加え暫定病床を作り、現在は252床の病院です。当院よりひと月早く作った大阪府立の病院は5床ですから、フルサイズで設置したのは全国初です。従来の措置入院では、重大な事件を起こした人が普通に出歩いていましたが、現行法では近隣の住民が不安に思わない設計も必要でした。

―他に特徴的な取り組みは。

 DPATを2チーム持っています。災害チームは患者さんのためにならないと思われがちですが、その経験は日常の診療でも活かされるものだと私は思います。

 私が副会長を務めている全国自治体病院協議会は中国との交流もさかんで、東北三省( 遼寧省・吉林省・黒竜江省) の自治体病院にCTを送ったりしました。将来大連市( 遼寧省) のあたりに病院を作りたいなと考えていたこともあります。岡山市と洛陽市(河南省)が姉妹都市で、当院は河南科技大学第五附属病院という750床ほどの精神病院と交流があります。視察された際、そこ(当時は洛陽市第五人民医院)の王輝院長が当院を気に入り、相互研修協定を結びたいという申し出がありました。2013年に3か月相互に精神科医を派遣し、当院からは関英一先生が洛陽市に滞在しました。岡山旭東病院の土井章弘院長が岡山市日中友好協会医療交流促進委員会の委員長で、協力していただきました。関先生は今宮古島にある沖縄県立宮古病院に勤めていますが、この時の経験が役立っているようです。この病院には以前からもう一人医師を派遣していますが、他に頼れる病院が近隣になく、たくましい医師を育てるのに適した環境だと思います。

 身体を診る医師から見て、精神科は医療行為をやっているように見えない現実があり、福祉施設のように思われています。ですから私は当院を「急性期を診る病院」にしようと考えました。しかし従来のたまり場的なデイケアはもちろん必要で、昨年診療所を新たに作り、そこでやっています。将来的には子どものデイケアも始めたいと考えています。

 私は難しいことにチャレンジしている時は元気で、筋道ができたらまた新しいことをやりたくなる悪い性格です。今後も新しいことにチャレンジしていきたいと思います。


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