川崎医科大学 脊椎・災害整形外科 主任教授
川崎医療福祉大学 リハビリテーション学科 教授 長谷川 徹
教授になってからも2年目に英国オックスフォード大学に留学しています。若い時はドイツにも留学しました。ドイツ語は得意ではなく、私がうまく喋れるのは日本語、英語、岡山弁だけなので、街に出た時ももっぱら英語で会話していましたけれど。
3か国の整形外科を見ましたが、それぞれにお国柄があり、良い面もあれば悪い面もあったように感じます。そして、日本の良い面が見えることも、留学のメリットだと思います。
私が感じた日本の医療の一番いいところは、患者さんに優しいことです。そして本校は「患者第一」をモットーに運営している大学ですから、これは大事にしなければならないなと感じています。私は川﨑祐宣初代理事長の教えを受けることができました。祐宣先生のこの精神を若い医療人に伝えることは、大事な仕事の一つだと考えています。
一方、川崎医科大学整形外科の以前からのモットーは、ジェネラリストをつくることです。「整形外科全般を広く扱える医師になる」という教育を受けましたので、私も広い範囲の専門を持っています。自分の本当に特化した専門を持ったのは、助教授になってからなんですよ。
この思想を基に教育を受けたことは、本当に宝物だと思います。極端な話、「私は右手の専門だから左手は診ません」という医者を作らないということです。3つの科に分け細分化した今もこの考え方は残っていて、助手になる前の先生には全般に通じてもらいます。そしてその中から、特に自分に合った分野を見つけ、特化してもらうわけです。
若い人を育てることが、最も大事な仕事だと考えており、特に人間性こそが重要だと思っています。もちろんメスを持つ医者にとって技術は重要ですが、それ以前に穏やかな人間であることが必要だと思います。私は「整形外科は紳士の集団たれ」と言っています。整形外科はどこの大学でも体育会系の最たるもので、血気盛んな集団ですから、特に紳士であることを意識しよう、と。
今はテニスが趣味です。テニス部のキャプテンだった医局員に誘われ、四十のころに始めました
学生時代はヨット部の所属です。この部は我々が2年生の時に作り、昨年は40周年。今はこのヨット部と、ジャズ研の顧問をしています。学生と話すのは好きで、接点は多いんですよ。でも、入局してくれる人は少ないですね。
私は川崎医療福祉大学リハビリテーション学科の教授も兼ねており、そちらでも講義します。この学科でも整形外科学というのは大事なポジションです。また川崎医療短期大学の看護科や、専門学校川崎リハビリテーション学院でも教えています。他大学の教授よりも、教育に割く時間が多いかも知れません。
もちろん診療も手術も現役で、週に3から4例ほど執刀しています。整形外科全体としては、年間1千200件の手術件数です。
私が専門にしている手術は内視鏡による脊椎手術です。私以外にも1人できる人がいますが、もっとたくさんの人にこの技術を伝えたいと思って頑張って教えているところです。医者は勉強し続けなければいけませんから、大学教授が行なう教育は、若い人だけを導くものではありません。
医療技術自体は、海外の方が進んでいるとは思いません。個々の技術は日本人の方が高いと思っています。しかし海外の手法を知っているということが、医師としての強整形外科は紳士の集団たれ川崎医科大学 脊椎・災害整形外科 主任教授川崎医療福祉大学 リハビリテーション学科 教授長谷川 徹みになります。アイデアをシステムにする力、企業との連携の方法など参考になることは多くあります。だから、若い人には国外に目を向けてほしいなと考えています。
ほとんどの教室員には、海外研修を経験してもらいます。特に初期研修医の時に1か月間出して、日本の外の世界を見てもらうこともあります。できるだけ若い時に行くほうが良いからです。これは整形外科だけでなく大学としての取り組みになりました。初期研修医には海外研修プログラムを作っていただいて、毎年6人くらいが海外に研修に行きます。海外の6施設と提携しているのです。
海外から本校に研修に来ていただくのはこれからです。今ドイツのフライブルクから本校に研修に来たいという人がいるので、実現すれば当方にとっても刺激になり良いことだと思います。
昨年は宮崎市のシーガイアで第13回太平洋アジア低侵襲脊椎外科学会という国際学会を開催しました。宮崎で開催したのは、海外からの参加者の希望を考慮してのことです。この分野の専門家が300人ぐらい集まる学会で、盛況でした。
以前は岡山―宮崎間を飛ぶ飛行機があって私はよく行っていたのですが、医局員には行ったことがない人もいました。8月初めの暑い時期で、宮崎らしい時期に開催しましたから、皆さん喜ばれたようです。医局員にも評判が良かったですよ。