与えられたものを成長の糧に

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社会医療法人 青洲会 青洲会病院  病院長 植田 保子

1973 長崎大学医学部を卒業し同大学病院第2 内科 1976 五島中央病院 1978 長崎大学第2 内科 1981 伊万里市民病院 1983 国立療養所長崎病院 1988 青洲会病院、福岡青洲会病院、青洲会クリニック 2005 浜田医療センター 2006 国境なき医師団 アルメニア派遣 2007 青洲会病院 2008 福岡青洲会病院副院長 青洲会クリニック院長 2011 青洲会病院院長所属学会=日本呼吸器学会、日本プライマリ・ケア連合学会

 平戸口桟橋は潮と魚の匂いがしていた。魚市場のほかに新鮮な魚の料理をふるまう店がいくつもあるようだった。

 青洲会病院の前で海に釣り糸を垂れている63歳の女性がいた。この近所に住み、70代の姉を透析のためここに連れて来て、終わるまでの4時間をこうして過ごしているという。「大きな病院があって安心。建て増しもされますね」との言葉に、地域に必要な病院なのだろうなと思った。釣果は雑魚ばかりだったが入れ食いで、みんな海に逃がしていた。

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写真上=青洲会病院を背に平戸大橋を臨む。右手に見えるのが平戸島。中=病院と老健ひらどせとの全景。下=青洲会病院と地域をつないでいる、連携室、訪問看護師、ケアマネージャー。最前列右が植田院長。撮影=池田放射線技師長

 ここらあたりから佐世保まで車で40分から1時間かかりますので、当院は平戸や松浦市の医療の中心的な場所になっていると思います。心臓や脳など難しい手術は無理ですが、高齢の方が多いので、そうひどくないのに佐世保まで行くようなことはなくしたい。ちょっとしたヘルニアの手術とか、大腿骨頸部骨折とか、そういったことはここで処置できるようになればと思います。

 これからこのあたりは人口が減っていきますが、そうなってもここの存在価値は残ると思います。開設したのは昭和59年(1984年)5月1日ですから、30年になります。初代理事長になられた上野義博先生を中心に、長崎大学を出られた情熱のある若い医師が運営してきました。当時は訪問診療や訪問看護がない時代でしたが、初めから往診に力を注ぎ、集落ごとの健康教室も結構やっていましたし、年に2回くらい患者さんを家の外に連れ出して、通所リハビリみたいなことをやるなど、ずいぶん先進的なことをしていました。ですから、当時から住民との距離は近かったと思います。

 訪問診療は平成に入ってからも盛んにやっていましたが、ほかの医療施設がやるようになってからは減りました。今は青洲会の他の施設(介護老人保健施設ひらどせと、介護老人保健施設つつじの郷、ケアハウスかしの木、養護老人ホームしかまち、明星会病院)と協力し合って、なかなか自宅に帰れない人の療養やケアを手がけています。総合的に診るようになったことが今の一番の特徴かもしれません。老健施設やケアハウスがあると、私たち医療者も患者さんを引き受けやすいです。

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 平戸島にある療養型の明星会病院(59 床)が老朽化したため、青洲会病院東棟に移転する。医師不足の折、当直もずいぶん楽になると植田院長は話す。
「世の中は在宅のほうに向かう流れがありますが、田舎では老人夫婦や独居老人が多くて、そんなに簡単には家に帰せないこともあります。在宅医療の時代は過ぎたかもしれません」

 島根県浜田市出身で、長崎大学に行ったことから、同級生だった上野先生(初代理事長)に誘われ、開設して5年目くらいからここに勤めました。一度、ふるさとの医療に貢献したくて浜田に戻り、医療に恵まれない国の人を助けたくて、国境なき医師団にも入りました。小学校の国語の教科書にシュバイツァーが載っていたのを今も覚えていますから、医者になったのもアルメニアに行ったのも、その影響があったのかもしれません。でも青洲会のほうから戻ってくれないかと言われ、今ではすっかりここの人間になりました。

 私が子供のころは、医療が今ほど進んでいない分、少々のケガや発熱は親が手当てをしてくれました。それが親の願いや祈りとなって子供に伝わることも多かったと思います。子供が親の愛に触れる機会は今よりも多かったんじゃないでしょうか。でも今は、ちょっとしたことでも、医者が悪いとか治療が悪いとか他人のせいにします。長生きはするようになりましたが、それで幸せになったかどうかは難しいところです。

 人間には、進歩して積み上げられるものとそうでないものとがあるように思います。たとえば親の財産は引き継いで贅沢ができますが、親が経験した苦労や、そこから得た貴重なものは引き継げません。それは親が、子供に苦労させたくないからです。そのような流れの中で今の時代は、科学の分野は積み重ねて進歩しますが、人の心がうまく引き継げず、両方のバランスがひどく崩れているような気がします。

 医学は目的ではなく、手段のはずなんですよ。医療者が自分を信奉させることがあってはならず、人がそれぞれ生きるためのサポートをするのが医療だと思います。医師というものは、たとえ助からないとわかっていても、何とかならないだろうかと苦悶するものです。

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青洲会長崎グループの合同三役会議メンバー。前列左から 植田院長、沼尾医師(研修医)、小山医師(研修医)、河野輝昭理事長。毎月、地域医療研修の研修医が来ているという

 私が医者になった当時、女性の医師は5%くらいで、今は30%を超えているようです。出産や子育てなどでしばらく現場を離れると、復帰に対して不安や緊張があるかもしれません。若い時にそうなるのはストレスでしょうが、でも勉強は年齢に関係なくいつでもできます。子育てといっても本当に手がかかるのは10年くらいでしょうから、落ちついたら男の人に負けないくらいに働いてほしいです。女性の強みは根性があることです。最終的に度胸が据わるのは女性のほうです。

 でも女であれ男であれ、与えられた能力や環境をポジティブに、成長の糧にすることが大切だと思います。


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