ワットファミリー(2007 年8 月にPrimrose Hill in London で撮影)。左から、娘ジェニファー(35)、筆者(67)、息子サンディ(33)、夫アンドリュー(71)=年齢は当時。
みなさんの記憶に新しいあの「アイス・バケツ・チャレンジ」、どう思われましたか? 私は「ただのパフォーマンス好きのお遊びではないの」と最初から冷ややかな目で見ていました。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の認知度を高めるための、一アメリカ人男性の思い付きが始まりだった。100ドルの寄付をするか、バケツいっぱいの氷水を頭からかぶって、次なる3名を指名する。お金と氷水の両方でもいい、ということで、著名人たちはその両方をしたようだ。
この突飛なアイデアは、撮影した動画をフェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディアで公開したことで、瞬時に世界中に広まって、短期間に集まった寄付の総額は膨大だったという。たとえば日本ALS協会の発表では「たった5日間に1年分の額が集まった」とか。認知度はさておいて、集まったお金がALS患者と家族、そして、研究のために使われるというので、この騒ぎは大成功だったといえる。しかし、実際に今、この難病をわずらっている患者とその家族たちはどんな思いで、あの騒ぎを傍観していたか、誰も本当のところはわからない。
私の夫は2005年12月にロンドンでALSの診断を受け、6年間の闘病の末、2012年1月に亡くなった。確定診断イコール死という残酷な難病の一つ、いわゆる不治の病だった。
私は自分が乳がん患者会のリーダーを35年以上も続けてきていたというのに、それまで難病には関心を持たず、現代医療をもってすれば、大半の病気はとりあえず治療があるものと軽く考えて生きていた。そこへ、目の前にいる夫が「早晩必ず死ぬ病」と宣告されて、当人はもちろんのこと、家族は当惑した。しかも最初に「おそらく6か月、持って1年」と余命宣告を軽くされたので、これがパニックを増長した。
長い間、がん患者の中にいて、私は、病名告知はよしとしても、余命宣告には断固反対を主張してきた。患者の気持ちを想像すれば、かわいそうで無慈悲すぎるというのが反対理由だった。あと何か月と宣告された患者は、その間の日々、時間をどう生きればよいというのか。死ぬとわかって、急いでみても、何から手をつければいいのか、死の準備などとてもできない。患者は言われなくても、うすうす感じるものだと信じている。それを医師から断定されたくないのだ。私は、実は今でも、この主張を通している。
だが、夫のような場合は病名を隠すことができないだろう。身体の機能が日に日に衰えていくのが誰の目にも顕著だからだ。そして、治療法がない。よって、当人も家族も知るしかない。
派手な手法で多額の寄付を集めたとしても、一人の患者の絶望の胸のうちと、看病に疲れ果てていく家族のやりきれなさは、動画にはできない。はっきり言って、お金をもらっても、慰めにはならない。もっと言ってもいいなら、笑いながらのあのパフォーマンスは、ALSとの苦難の闘いの末に死んだ夫と彼を偲ぶ家族に対する冒涜とさえ思ったのだった。静かにしておいてくれたほうがいいとひそかに願ったのは私だけだっただろうか。
〈あけぼの会会長〉