医療事故と法律15
民事事件、特に医療過誤事件における因果関係の立証の程度に関する判例としては最判昭和50年10月24日判決、いわゆるルンバール事件が、そのリーディングケースとして挙げられます。
「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである」
「高度の蓋然性」や「疑いを差し挟まない程度」という表現は刑事事件と同様であり、これだけ読んだら、なんだ同じではないか、と思われるかもしれません。しかし、この事件の意義は、問題になった患者の脳障害の原因が、化膿性髄膜炎の治療として施行されたペニシリンの髄腔内注入(ルンバール)に起因する脳出血なのか、それとも化膿性髄膜炎そのものの悪化なのかが不明であり、治療行為と損害との因果関係が確定できないとして患者側の請求を棄却した原審判決を取り消したところにあります。すなわち、けいれんを伴う意識混濁がルンバール実施後15分乃至20分後に突然発症していること、医療機関も発作後一貫して脳出血によるものとして治療を行ってきたこと、複数の鑑定により脳出血が最も可能性が高いとされていること等を総合して、ルンバールに起因する脳出血が脳障害の原因であると判断すべきだというのがこの判例の結論であり、それを導くために強調されているのが、「一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく」ということなのです。
この連載中何度か繰り返しているとおり、刑事責任の本質は、行為者に対する人格的非難であり、訴訟で問われているのは、その行為者に処罰を加えるかどうかです。そこでは、同じ「蓋然性」であっても、反対事実の存在の可能性を許さないほどの確実性を志向したうえでの判断が求められます。ルンバール施行に過失が認められることを前提としても、化膿性髄膜炎の悪化による脳障害の可能性が否定できないとすれば、ルンバールによる脳障害と決めつけて医師を処罰するのは避けるべきでしょう。
しかし、民事責任は、社会的損失の公平な分担です。ルンバール施行に過失が認められ、かつ、脳障害の原因がルンバールである可能性が最も高いとするならば、化膿性髄膜炎の悪化という可能性が否定できないからといって、脳障害という社会的損失を患者側に全て負担させる理由はありません。
このルンバール事件の争点は、CTをはじめとする画像診断が普及した今日であれば、もっと簡単に、確実に解決できるはずです。しかし、いまの医療技術を以てしても分からないことはたくさんあります。それは医療技術の限界もありますし、再現実験が不可能な医療の本質に根ざす部分もあります。
多くの医療過誤訴訟は、その「分からないこと」を巡って争われています。その「分からないこと」をどう扱うか、そこに民事事件と刑事事件の大きな違いがあるのです。