久留米大学医療センター 病院長 樋口 富士男
大学時代はテニス部に入り、写真にも凝っていた。院長室にあるモノクロ写真は、1971年11月19日に九電記念体育館で開かれた朝日国際招待庭球福岡大会の一コマ。選手名はヘレン・ゴーレイ。「スリットの光がちょうどきれいに当たっていた」。そう話す樋口院長の目は、43年前を見つめているようだった。
ここは20年前、国立病院でした。それを久留米大学が買う時に、いろんな議論がありました。
まずは住民との議論です。地域にとって有益な病院にしてほしいとの話が出ました。また、久留米大学の教授会では、大学病院と棲み分けをしようとの議論がありました。さらに、医局など小さな部署でも議論が出て、どのような診療を医療センターに持って行こうかという話になり、整形外科の中でリウマチをこちらでやることになりました。しばらくして手術の応援をする目的で私が来たんです。
ところが生物学的製剤という強い薬が出てきて、それまでは手術がほとんどでしたが、薬が効くようになり、また副作用もありますから、整形外科よりも内科の医師が診るようになりました。だから整形でリウマチ以外の関節も診るようになったという経緯があります。
久留米は救急が非常にいいところで、119番して病院に到着するまで平均7分、日本で一番早いんです。だから医療センターでは救急をやらず、もっと慢性疾患を診ようということになりました。昨年7月にオープンしたがんワクチンセンターも併せて、全国から注目されるようになったことは、経営面でありがたいことです。
私の専門から言うと、高齢者の関節手術が増えています。
骨粗しょう症のいい薬も出てきて骨折が減りつつあるような気もしますが、逆に難しい手術が増えてきました。人工関節を入れる人が増えてきて、その合併症として骨折が起こり、それを手術するという問題が生じています。人工関節がじゃまをして、リスクの高い大きな手術になるんです。人工関節の人が高齢者になるとそのような問題が起こるわけです。だからそのような難しい骨折はみんなここに来ます。
今でも手術はたくさんやっていますが、職員のために環境を整えたいですね。働くスペースを広げるとか、拘束時間を短くするとかです。ここで働きたいと思えるようにすることが私の仕事だと思っています。
院長回診で、職員の態度や食事などについて患者さんに意見を聞くと、誉められることは多いですよ。病院の周辺に緑が多く、ゆったりしているのも理由の一つかもしれません。
ここらは筑紫平野なんですね。北は背振山と吉野ヶ里、東は耳納連山があり、海の幸、山の幸、川の幸に恵まれています。暮らしやすい土地ですから戦前は軍隊がいて、ここはその病院だったんです。今年の春には久留米インターから上津バイパスが繋がり、とても便利になりました。
さらに国分町という地名は国分寺があったからです。奈良時代に一番いい土地に作られたお寺で、聖武天皇が全国に60か所に作ったそうです。福岡ではほかに太宰府市と京都(みやこ)郡にあります。佐賀にも1つありますね。
私の父親は考古学者で、自分もそちらの方面に行くのかなと思っていましたが、当時は東大紛争などがあって不安定な時期で、現実的な道を選んで医者になりました。母の家系が医者だったこともあります。
医師になって得たものは多いです。たくさんの人と出会いました。嘘がなく、ごまかしもきかず、難しいからこそで、中でも患者さんから学ぶことは大切です。
振り返ってみて、一生貫ける職業ではありますね。自分を磨いて、それで人のために最善を尽くす。評価を受けるか受けないかは別にして、尽くすことはできるんですよ。
人のために時間を費やすのはいいことですね。