私の最初の記憶は、縁側に座っている曽祖父の前で駆けっこして水飴をもらったことで、たぶん五歳のころである。
いろんな人に最初の記憶をたずねてみると、やはり私と同じ年齢くらいのようだ。
人は、生まれてから四、五歳くらいまでは記憶がない。だからずっと抱いて育てても甘やかせたことにならない。
他方で、記憶がなければ身を守るすべを身につけようがないから、養育者に依存するしかなく、状況のすべてを受け入れることになる。
だから記憶のない時に親や家族や周囲の人が愛情を持って接すれば、自分はこの世に受け入れられているという世界観を獲得するし、一歳や二歳で突き放されたり、親がいがみ合っていたり、厳しくしつけられると、自分はこの世と折り合いがつけにくいという世界観を獲得する。激しくからかわれたら、自分の卑下が確定する。そして、記憶がないだけに生涯にわたって固定化する。
積極的な人や好奇心旺盛な人、頼りになる人、朗らかな人や大らかな人、何かにつけてやさしい人、大抵のことをうまくやれる人、あるいは落ち着いて思慮深い人などは、記憶のない時期にたくさんの愛情を受けた人である。
反面、「小馬鹿にされながら走り回っている間は安泰」とするパシリ体質や、「自分を守るには先に攻撃するに限る」とするクレーマーやモンスター、失敗を恐れて何もしない人、「頑張っている間だけ認めてもらえる」との信念から逃れられない燃え尽き症候群、「後ろからついて行きます」と言いながら背後から突いてくる卑怯者、ぺこぺこしていれば心象をよくしてもらえると思っている負け犬根性、言葉に侵襲のある人などは、幼児期に充分な愛情で防御されなかったために、警戒や懐疑、恐れから、彼らなりに自己防衛しているのである。
彼らは成り立ちの上では乳児期からの被害者であり、それを克服できずに生涯を終えるという点では同情する。
記憶のない時期のしつけは動物の調教と同じで、記憶が生じ始める年齢からのしつけについては、愛情を注がれた子供には効果が高い。少々手荒くても手厳しくても、自分はこの世から受け入れられていると無意識に思っていれるので、しつけを必要なものとして受け入れるからである。
しかし恐怖やさみしさや苦しみを感じながら育つと、しつけを受け入れることが難しくなる。この世は折り合いをつけにくいという世界観が根っこにあるので、しつけを自分が生きることへの攻撃のように感じて反発するからである。
このことは終世に渡って変えられないのではな
わが家の斜め向かいに六十七歳の男性が一人で暮らしている。いい大学を2つ出て、フランス語と英語を今も上手にしゃべる。若いころの収入は一般サラリーマンより一桁多い時もあったそうだ。
つい先日、彼がアパートの前を通る児童や乳児を抱いた若い母親に怒鳴り散らしていた。大声で小林旭を歌いながら道の真ん中をふらふら歩いている姿も見た。昼間から泥酔し、毎月の年金は競艇に消えている。目は帳(とばり)の降りた感があり、一見してどす黒い。
彼に関心を持った私は言葉巧みに近づき、家に上がり込んで一緒に酒を飲みながら、幼少期について尋ねた。
「死んでも親の墓に入りたくない」。彼は涙をこぼした。父親から「お前は要らない子だった」とからかわれて育ち、生涯をかけて本当にそうなったのである。
近所の旅館の店主から次の話を聞いた。
玄関の前に置いてあった傘立てが盗まれた。被害届を出した数日後に、犯人が捕まったと警察から連絡があり、刑事が報告に来た。それによると泥棒の年齢は八十歳。孤独の身で親の顔を知らず、橋の下に捨てられていたそうである。施設で育てられ、名前は市長がつけたという。
盗みを働いたというより、そうやって八十年間を生きてきたのだろう。
旅館の店主は「かわいそうな人だ」と同情したが、窃盗犯にはかわいそうとか同情とかの感情は備わっていないはずだ。敵だらけの中を生きてきたからである。
施設で育ったにしても、職員の誰かが彼を温かく抱き、あなたはこの世に受け入れられていると伝えてくれたら、こうはならなかったのではと思う。
「人は誰でも思った通りの自分になる」。これを古人は、「三つ子の魂百まで」と呼んだ。
乳幼児だから何も分からないのではなく、何も分からないから、すべてをつかむ。そしてそのことを親は確認できない。
人は最後に、食事と寝床、排泄で誰かの世話になる。乳児と同じ状況になる。これを評論家の米沢慧氏は「帰還」と呼び、ヘルマン・ヘッセは「苦しいが光り輝く山頂から、生まれ故郷へ、母のもとへ跳躍する」と、見事な表現で言い表わしている。