後方支援病院として常に万全の体制を

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特定医療法人北九州病院 北九州八幡東病院 院長 白幡 聰(しらはたあきら)

1968 慶應義塾大学医学部卒 1969 同小児科学教室助手 1974 聖マリアンナ医科大学小児科学教室助手 
1976 同講師 1979 産業医科大学小児科学教室助教授 1994 同教授2009 産業医科大学名誉教授 北九州総合病院副院長 
2010 北九州八幡東病院病院長 
■専門医資格 小児科専門医 日本小児科学会指導責任医 日本血液学会専門医・指導医学会活動=日本小児科学会名誉会員 日本産婦人科・新生児血液学会名誉会員・監事 日本血液学会功労会員 日本血栓止血学会名誉会員(血友病部会員) 日本輸血学会評議員 日本新生児学会功労会員 日本小児血液・がん学会名誉会員 日本未熟児新生児学会評議員 九州学校保健学会評議員 日本小児科学会福岡地方会幹事 など

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花器に生けてある葉にとまっている蝶は白幡院長が採集したもの。カーテンや壁にも蝶がとまっていた。

 平成21年に産業医科大学を定年退職し、北九州病院グループに就職しました。最初は北九州総合病院にいたのですが、系列の北九州八幡東病院の前院長がお辞めになり、自宅に近いこともあって、平成22年から院長を勤めています。もともと小児科医ですので、高齢者医療が主体の当院への赴任は正直なところ戸惑いましたが、小児科医はオールラウンドですので、比較的早く診療に慣れることができました。

 480床の当院は、医療療養病棟220床(うち在宅復帰機能強化加算病床103床)、介護療養病棟112床、障害者病棟101床、回復期リハビリテーション病棟47床で構成されており、厚労省が推進している地域完結型医療連携の中で、急性期病院の後方支援の役割を担っています。

 当院の近隣には多くの急性期病院があり、それらの病院からご紹介を受けた高齢の患者さんを主に受け入れています。以前は、病状が安定して医療の必要度が低い慢性期の患者さんの紹介が大部分でしたが、DPCの導入、平均在院日数の制限、とくに今年の4月の診療報酬の改定で、平均在院日数の算定方法が厳しくなったことを受けて、看護師を手厚く配置している急性期病院(いわゆる7対1病院)はさらに患者さんの早期退院をはからなくてはいけなくなりました。その結果、医療必要度の高い、亜急性期の高齢患者さんの紹介が増加しており、のんびり対応していられなくなっているのが現状です。

 当院の特長のひとつは神経内科の専門医が常勤2名、非常勤が1名いて、パーキンソン病を始めとする神経難病の患者さんが多いことで、障害者病棟の入院患者の5割以上は神経難病の患者さんです。そのほか血友病の患者さんが時々入院されます。これは、私の専門が血液疾患で、産業医大在職中に血友病センターを作ったことと関係があります。血友病の患者さんは関節に出血を繰り返す結果、関節障害を起こすのでそれに対するリハビリ目的で当院に入院されます。

 当院に赴任して驚いたのは、リハビリテーションの体制が整っていることでした。PT、OT、STのスタッフを合わせると70人以上いるんですよ。北九州市内で5本の指に入るのではないかと思います。前任の院長が整形外科医で、この分野には特に力を入れたそうです。脳卒中の患者さんの回復期リハビリについても、リハの専門医がいるので積極的に受け入れています。当院のリハビリのスタッフは勉強熱心で、症例検討などを通じて、活発に情報交換をし、そこで得た知識を日々の診療に生かしているのをみて頼もしく感じています。リハビリのスタッフには回復期病棟だけでなく、その他の病棟での維持期リハでも頑張ってもらっています。

 赴任当初、院内があまりにも殺風景だったので、玄関や病棟に生花を飾るようにしました。次に市内で絵画教室を開いている知人に頼み、廊下や病棟に絵を飾りました。さらに、子どもに絵を教えている知り合いにお願いして、子どもたちの絵を展示したところ、高齢の患者さんが多い当院では、お孫さんの絵を見ているようだと、思った以上に喜んでもらえました。この絵画教室からは、北九州の児童画展で毎年のように、優秀賞や最優秀賞をもらう作品が出品されています。長期の入院患者が多い当院のような病院は、医療を提供するだけでなく、できるだけ快適に療養していただけるよう環境を整備することはとても大切なことだと思います。

 私は中学(普通部)の時から慶応義塾に入学して、高校、大学と進みました。子どものころから生き物が好きで、高校時代は生物学研究会に所属していました。大学に理学部があったらそちらに進んでいたかもしれません。しかし、慶応には生物系の学部がなかったので医学部に進学したというのが、医師になった理由です。医学部で有名な大学ですが、1学年900名の慶応高校の中から、医学部に進める枠は20人しかないので、高校の同級生に医師は少ないんですよ。先日、生物学研究会のOB会がありましたが同期とその前後に医師はいなくて、私以外は定年を迎えて気楽に暮らしていました。

 昭和53年に産業医大が北九州に開校しました。小児科の初代教授が慶応の小児科から赴任したので、助教授として行かないかという話がありました。東京育ちですが、母は長崎県の出身で、平戸の女学校を卒業しています。父も佐賀高校の出身でしたので、九州に行くことに抵抗はありませんでした。母も喜んで送り出してくれました。父も九州行きを喜んだかも知れませんが、この話がある少し前に他界しています。でも父の闘病生活が続いていれば東京を離れることができなかったかも知れません。私は昭和49年に聖マリアンナ医大の新設にも参加していますから、大学の立ち上げには2度立ち会っていることになります。

 35歳の時に北九州に来て、30年間産業医大に勤務しました。前半の15年間は助教授、後半の15年間が教授です。「定年後は東京に戻るんですか」と聞かれることもありましたが、こちらの生活の方が長くなり、また、九州の方が暮らしやすいので東京に戻る気持にはなりませんでした。妻はしばらくの間、東京へ戻ることを期待していたようですが、今ではすっかり北九州の生活になじんでいます。娘は二女と三女が東京、長女は八幡西区で眼科医院を開業しています。

 東京に出張する時は、できるだけ川崎に住む母のところに顔を出すようにしていましたが、97歳の時に大腿骨を骨折しましたので、川崎の病院で固定術を受けた後、回復期のリハビリを目的に当院に入院しました。残念ながら、リハビリの途中で敗血症を起こして寝たきりになり、昨年、白寿を迎えて間もなく亡くなりました。それでもずっと離れて暮らしてきたのが、1年半ほど毎日のように会うことができて良かったです。ケアに当たってくれた職員に感謝しています。常々職員には、自分の家族が病気になった時に入院させたいと思う病院でありたいと言っていますが、私自身がその体験をしました。

 趣味は蝶の採集です。先週は高い木にとまるシジミチョウを採りに、岡山県新見市に遠征してきました。鹿児島の仲間と一緒に車で行って来たんですよ。先に網のついた8mの竿で木を叩いて飛びださせ、それが止まる場所を見て捕えるので目が良くなくてはいけません。もちろん体力も必要です。蝶は全国的に分布している種類ばかりでなく、成虫が飛んでいる季節も限られます。特定の時期に特定の場所に行って、しかも天気が良くないと採れない種類も多いので、逆にそれが採集に行く楽しみでもあります。

 お酒は嫌いではありません。赴任当時は特にいろいろな部署の職員と飲み会を開きました。インフォーマルな席でも職員の意見を聞き、それを待遇改善や業務改善につなげることはとても大切なことです。職員が働きやすい職場を作ることが、患者さんやご家族に対する接遇の改善につながるからです。


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