医療事故と法律13
民法学者の加藤一郎は、東大病院輸血梅毒事件の地裁・高裁判決について、昭和三二年一二月に発表した「医師の責任」という論文で、医師の注意義務をそこまで重くしてよいのかとの疑問を呈し、「...問診を怠ったという小さな問題を取り上げて医師の責任を認めているが、それは被害者の保護のために、結果的にはあるいは妥当としても、病院が国立病院ではなく個人病院の場合に、これだけのことについて一々責任を負うということになれば、病院として成り立たないという問題が起こってくるであろう。そして、それを解決するためには、責任保険に頼らざるを得ないのである」と医師責任保険の必要性に言及しました。この論文は、昭和三六年一二月に出版された「不法行為法の研究」に収録されていますが、そこには、「(輸血梅毒事件の最高裁判決の結果)医師の責任保険の必要性はきわめて大きくなった。しかし、まだ、全体の事件の少ないためか、医師の側にも、保険会社の側にも、医師の責任保険を取り上げようとする動きは現れていない」と追記されています。
もともと、故意または過失が不法行為の要件とされたのは、市民の経済活動に対する制限を最小限に画する趣旨と考えられます。何の過失もなく、たまたま他人に損害を与えてしまった場合にまで損害賠償責任が認められるようでは、危なくて経済活動ができません。このような時代においては、民法の「過失」も、刑法にいう「過失」、つまり具体的過失と異なるべき理由はありませんでした。
しかし、科学技術が進展して、人の生命・身体に対する危険を含む経済活動が増大するにつれ、そのような科学技術を利用する事業者の責任を、従来の「具体的過失」がある場合に限定することの不公平さが明らかになってきました。社会的損失の公平な分担が、不法行為法の指導理念として意識されるようになったのはそのためです。民法上の「過失」概念が、刑法におけるのと異なり、「抽象的過失」と理解されるようになったことも、そのひとつの現れと考えられます。
このような話をすると、「医療を営利目的の企業活動と同一視するのか」と反発する声が聞こえてくるような気がします。
確かに、医療は営利目的ではありません。しかし、重要なのは、医療そのものに人の生命・身体に対する危険が含まれていることであり、かつ、医療者にとっては、くり返しおこなう「業務」であることです。それは、一方においては「再発防止」という観点の重要性を意味するものであり、他方では、損害保険によるリスクヘッジの相当性を意味するものでもあります。
日本医師会が医師賠償責任保険制度を創設し、会員の加入を義務付けたのは、昭和四八年、東大病院輸血梅毒事件の最高裁判決から一二年後でした。今日、このような損害保険の必要性に疑問をもつ人はいないでしょう。
医療事故クライシスと呼ばれた一九九九年から一五年めの今年、医療法改正により医療事故調査が制度化されました。新しい考え方が形になるにはそれなりの時間がかかるものだと改めて思います。
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