好生館の歴史と伝統を、県民とアジアに

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地方独立行政法人 佐賀県医療センター 好生館 理事長  中川原 章

1966 福岡県立修猷館高等学校卒業 1972 九州大学医学部卒業、第二外科入局 1977 九州大学大学院医学研究科博士課程(医学博士:生化学) 1980 米国ロックフェラー大学留学(客員助教授) 1981 九州大学医学部小児外科助手、後に講師、助教授1990 米国ワシントン大学小児血液腫瘍科(客員教授) 1993 米国ペンシルバニア大学・フィラデルフィア小児病院 1995 千葉県がんセンター研究所部長(生化学研究部) 2004 千葉県がんセンター研究所所長 2005 千葉大学医学薬学府連携大学院教授 2009 千葉県がんセンターセンター長 2014 佐賀県医療センター好生館理事長受賞歴=2000Audrey Evans 賞(第9回国際神経芽腫学会・最高賞)2006 千葉県知事表彰 2008 高松宮妃癌研究基金・学術賞(基礎研究部門) 千葉県病院局長賞 日本政府観光局(JNTO)国際会議誘致・開催貢献賞(21 年度) 日本対がん協会賞(個人の部=25 年度)
現在の主な役職<国際関係> 国際小児がん学会(SIOP)理事・アジア地域会長 米国小児がん臨床試験グループ(COG)国際会員 国際がん学会日本委員会(UICC-Japan)小児がん委員会委員長 アジア小児がん臨床試験グループ(APHOG)代表。

―23年ぶりに九州に帰って来ての感想は。

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佐賀が故郷とは言え、理事長になって3 か月。記者がカメラを向けたら「おそらく苦労しているだろうから」と、二人の秘書を呼んだ。

 前にいた千葉県は、医師と看護師の確保がむつかしい、たいへんなところでした。佐賀県の医療事情は、見方によるでしょうが、好生館に関しては、医者が多いので驚きました。

 独法化されてからの4年間で、十時(ととき)忠秀初代理事長が医師を50人以上増やされて、看護師も大幅に増え、現在医師が183人(研修医28人を含む)います。診療科の数は35です。これだけの医者をそろえた病院は、佐賀県内では大学以外にはないでしょう。

 千葉では医者を1人増やすのに1年かかりました。十時先生の人材を集める才能には敬服しています。

 だから、この豊富な人的資源を県民のためにいかに活用するかが私の仕事になると思います。そこに全力を傾けたい。

 日本の超少子高齢化は、世界のどの国も遭遇したことのない社会です。2010年に英国のエコノミスト誌が「未知の領域に踏み込む日本」という特集を組み、穏やかに衰退する日本と書いています。その背景は超少子高齢化です。医療と福祉の面も併せて、日本がどう乗りこえていくかを世界中が注目している。

 わが国全体としてチャレンジすると同時に、地域としても、自分の居住地にある超少子高齢社会への取り組みを考えなければいけない。千葉も佐賀もそれぞれの問題を抱えており、それにどう取り組むか。それが地域の挑戦です。

 好生館は佐賀県の基幹病院ですから、佐賀県民のための医療、そして医療を介護につなげることも視野に入れて、退院したあともケアができるような仕組みが求められています。

 地域の中で病気と闘っている人が大勢います。その人たちにどう医療や介護の手を差し伸べるか、そのために外部との連携が大切なんです。好生館はそれを構築し始めたところで、そこにICT=情報通信技術を取り入れたい。それがなければ好生館の役割を果たせません。

―そのような現状を医療者は認識していますか

 好生館で働く職員には自分の職務を頑張ってもらい、地域との連携、在宅への関わりについては、私たち管理者がシステムを作らなければならない。職員はそれに参画し、そこでチャレンジすればいいわけです。

 先ほどから「県民のための医療」と言っていますが、それは「退院したあと、地域社会でのありようを考えた医療」です。

 今は自宅で抗がん剤を飲める時代です。でも、そのような人たちがどんな暮らしをしているのか、副作用はどうなっているのかを病院は全然知らなかった。そこで千葉にいる時、県に調べてもらったら、退院したがんの患者さんの3分の1は独り住まい、そして夫婦2人だけが3分の1で、夫婦ともがんの世帯もありました。

 だからそこに、かかりつけ医と共に、医療者が連携の中心になって介入しなければ「県民のための医療」にはならないんです。国の言う地域包括支援システムとはまさにそのことだと思います。

―好生館の歴史と伝統に立ち返って。

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「かつて好生館には研究室があった。これからの好生館にもそれがあっていいと思う」と中川原理事長は話した。

 小5の時、鳥栖で歯科医をしていた父を胃癌で失い、その時に将来は医者になってがんと戦おうと決めました。鍋島藩の藩士の末裔ですから仇討ちをしたかったんです。その気持ちは今も変わりません。

 医師としてずっと、赤ちゃんにできる神経芽腫の自然治癒や原発不明がんなどに興味を持ってやってきましたが、お年寄りのがんはこれから増加してきます。佐賀県では女性のがんと肝癌に取り組まなければなりません。でもその実態がまだよく分かっておらず、それを徹底してやらなければならないので、院内に研究所を作る必要があると思っています。

 好生館は、鍋島直正公が二十歳の時(1834年=天保5年)に建てた「医学館」が原点です。今年で180年経ち、日本で初めて種痘を行なったことなどの歴史と伝統を生かすとすれば、好生館はほかの病院と違ってもいいのではないか。疫学やゲノム解析、医療連携のあり方など、地域社会に直結した開発型の研究所を作れたらいいと思います。研究所のある病院として、サガハイマットと連携し、そこに佐賀大学や九大も加わって、300種類以上もある希少がんや小児がんに取り組みたいと思っています。

 佐賀県は県知事を始め、医療や福祉関係の意識が非常に高く、しかも医療連携の見渡せる人口サイズなので頑張り甲斐があります。ただしそこには知恵と行動力が必要です。それをまず好生館で生み出したい。それが好生館のチャレンジです。

―理事長職に就いて感じたことは。

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(画像提供=佐賀県医療センター好生館)

 好生館の職員は非常にやさしいです。接遇教育には力を入れており、その成果が現われているのでしょう。これをもっと磨きたいですね。

 当院は救急がメインですから、ドクターカーとドクヘリで積極的にやっていきます。慢性疾患のがんはむろん、すべての疾患をカバーする体制を強固にしたい。それらを総合的にやれる病院にしたいと思っています。

 さらに古川知事から、アジアの医療もみてほしいと言われています。たまたま国際小児がん学会のアジア地域の会長職に就いていますから、そこに好生館やサガハイマットが連携すれば、かなりグローバルになると思います。私自身も「アジア小児がん臨床試験グループ」を最近立ち上げたところで、本部は香港に置くことになると思います。

 そういったことをにらみながら、まず院内に研究所を作り、ハイマットと連携し、地域の医療を支えながら、佐賀県民よりももっと苦しんでいる人が大勢いるアジアにも貢献したい。そのネットワークの中心、アジアの拠点に佐賀がなれたらいいと思います。それが私の夢、医師として、佐賀に生まれ育ったものとしての夢、そして挑戦です。


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