市立八幡浜総合病院 院長 上村 重喜
市立八幡浜総合病院は愛媛県の八幡浜港から徒歩10分ほどの距離にある。八幡浜港は宇和海に面し、魚の水揚げ港としても古い歴史を持ち、トロール漁業基地となっていて鹿児島県種子島沖から豊後水道、高知の沖合いにかけて出漁しているそうだ。
記者は取材前日の午後に福岡から別府へ行き、別府港からフェリーに乗った。3時間弱の船旅で着いたのは夜8時前。下船すると宇和海からの潮風が肌に心地よく、温かく出迎えてくれたように感じた。
医師になる前はラリーやダートトライアルをやっていたという上村院長。やりたいことをとことん突き詰めてやった結果、医師の道を志したそうだ。上村院長の左にあるのは、平成28 年完成予定の新病院の完成予想図。地上6階建て、病床数256 床。駐車場も301 台駐車可能になるとのこと。
現在新病院を建設中で来年の3月に病棟部分が完成します。入院、救急、放射線科は4月から新病棟で対応して、外来の患者さんは現在の病棟で診療します。新しい機械も導入するので、今の病棟で対応できない場合は新病棟で検査をします。
地域の救急を担っているので、二次救急患者に対応できるようにすることを考えています。今の建物は老朽化しており、今後予測される災害についても新病院を拠点として地域住民を守れる建物にします。
市からの要請を受け、新病院にはヘリポートを設置します。ヘリで結ばれることにより周辺病院との連携が迅速になります。津波などの災害があった場合にも物資・医薬品の調達が容易になります。
患者さんや職員への配慮で、「迷わない外来」、「患者・スタッフ動線の分離」、「一般用、スタッフ用エレベーターの分離」に取り組みます。年代を経て増築を重ねてきたので、現在は複雑な構造になっています。
新病院は、初めて来られた人も迷わず、利便性が高い構造になると考えています。建設にあたってプロポーザル方式をとり、病院幹部と市の職員で、設計者を選定しました。基本設計ができる過程で各セクションの希望を取り入れているので、職員が働きやすくなると考えています。
診療面では、この地域でも患者さんに不利益とならないよう、都市部と同様の医療を提供できるように施設の充実を図っています。専門性のある診療科についても、高度医療機械に頼らざるを得ない場合を除き、積極的に診療していくことを心がけています。
搬送患者、紹介患者は、当院で治療を完結させることを念頭に置いています。
若い医師には最先端医療を目指す人もいれば、医師不足の地域で闘おうとする人もいます。いずれを選択するかは自由ですが、自分の能力や適性を考えて慎重に選んでほしいと思っています。
私は地域で医師をしています。自分の選択は間違っていないと思っていますが、若い人がそれを行なうことが果たして幸福なのかどうか、それは各個人の感じ方なので、私の口からはどの選択が最良なのかアドバイスはできません。もちろん手技的なことは先輩医師として教えなければなりませんが、個人の人生、考え方までは口出しできません。
私が若いころは医局から指示された病院に行かなければなりませんでした。新臨床研修制度では各診療科でじっくりと研修できるので、個人のパフォーマンスを発揮できる場所に進むことが、日本の医療の質を向上させます。もちろん我々は医師を確保したいとの思いはありますが、本人が一番進みたい道を選ぶことが大事です。
地域住民の安心・安全は当然、守らなければなりませんが、医師確保のために若い人の進路を強引に変えさせることはエゴだと思っています。
医師は超最先端の医療を除けば、決められた範囲内で最大限の治療ができ、自分が正しいと思ったことが出来ます。たとえ超一流ではないとしても世の中に貢献ができます。
私が地域の病院にいる理由は、よほど特殊な治療でない限りは、大都市にいなくてもほとんどのことがこちらでできるからです。それこそが医療の本質だと思います。
当院には優秀な医師が数多くいます。地域の病院であってもほぼ毎日救急を受け入れています。
私は循環器が専門で、必要とされる場合はいつでもカテーテル検査を行なっていて、休日はほとんどありません。長年そういう生活をしてきたので、それほど苦ではありません。自分がした方がいいと思える間はこの生活を続けていくつもりです。
凝り性でとことんやらないと気が済まない性分なので、今は趣味もありません。引退したら趣味を持つかもしれません。でも、その頃は体が動かないかもしれませんね。
母親から聞いた話ですが、幼い頃から「人の役に立ちたい」と言っていたそうです。
自分のために何かをしたいという欲求は昔からほとんどありませんでした。
将来この地域の人口は減っていきます。新病院が建った後、この町で大きな建物を建てる事業が発生する可能性は低いと思います。新しい病院が建つことにより、この地域の発展に何らかの形で寄与することができれば幸いです。
記者は見た 八幡濱第一防空壕
インタビューの帰路、防空壕跡の標識を目にして、足を向けた。八幡濱第一防空壕は、昭和15 年5 月に完成した四国初の防空壕だとのこと。
空襲はなかったが、米軍の機銃掃射の退避場所として使用されたそうだ。憲法9 条改正、尖閣諸島、竹島問題など、きな臭い気配が漂う昨今、改めて平和の重要性を感じた。