兄弟三人がそれぞれ院長に

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広島県厚生農業協同組合連合会 吉田総合病院 病院長  住元 一夫

住元 一夫(すみもと かずお)1979 広島大学卒 同大学医学部附属病院第2外科入局 1992 松山赤十字病院外科部長
1996 県立広島病院外科医長 1997 広島厚生連吉田総合病院外科主任部長 1998 同診療部長 2001 同副院長 2002 同院長 2012 広島県厚生農業協同組合連合会理事■日本外科学会専門医・指導医 日本消化器外科学会認定医・専門医・指導医 日本消化器外科学会消化器がん外科治療認定医 日本透析医学会専門医・指導医 身体障害者指定医

 吉田総合病院は、当時無医村が7か所あった旧高田郡(現安芸高田市)に「農民のための病院」として昭和18年に設立された。現在は農協が出資者で、急性期から慢性期までを診る400床。循環器外科を除くすべての診療科を備えており、地域の病院として機能している。現在は僻地支援病院の指定を受け、無医地区診療所に週3回医師を派遣するなどの活動もある。また精神閉鎖病棟120床を持ち、精神疾患を有する患者の合併症治療や、出産・妊娠管理を引き受けている。

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院長の趣味は、木製帆船模型の制作。市販されたキットではなく、自分で角材を削って、それを張り合わせて作る。院長室に飾られた模型は、トラファルガー海戦でネルソン提督の座乗艦となった、英海軍の104門戦列艦ビクトリー号。院長によると、ポーツマスに現存しており、資料が多いため忠実に再現が可能だが、その分制作は難しいという。

 通常透析は泌尿器科や腎臓内科で診ますが、広島大学では私の出身の第二外科が最初に始めたので、外科が透析を診ています。若い頃「外科はしなくて良いから1年間透析をやってくれ」と、透析患者の多い土谷総合病院(広島市中区)に派遣され、シャントを作ったりしていました。外科ですが、日本透析医学会の専門医だけでなく、指導医も持っています。

 当院では昭和63年から透析をしています。私が赴任した17年前は、33人の透析患者しか診ていませんでしたが、今では110人くらいに増えています。当院には私を除いて外科医が6人いますが、内2人は日本透析医学会の専門医を持っています。専門医が3人いるので、当院は日本透析医学会専門医の修練施設です。

 第二外科は透析を診る関係で、腎移植と肝移植の研究が盛んです。私が広島大学で始めてネズミの肝移植に成功し、肝臓の保存で博士号を取りました。

 私の論文は、Surgeryと、Transplantation の2誌に掲載されています。当時研究する人が少なかったので、国際学会でも重要視されました。私以降、広島大学の第二外科ではネズミの肝移植が盛んになり、私が指導した医師だけでも4人博士号を取っています。また私は、すい臓移植の研究も行なっており、その分野で3人博士号を取らせています。

 当院にとって救急医療は大事な役割です。

 平成7年に開設した休日夜間診療所は、24時間365日救急車を受け入れています。以前は運営が大変だったのですが、平成22年から日祝祭日と盆正月に、安芸高田市医師会の先生方に日直をしていただけるようになりました。みんなが休みたい時期に引き受けて下さっているので、大変助かっています。また市から救急医療に補助金を出していただいています。

 平成20年に、モンスターペイシェントを強要罪、脅迫罪で起訴に持ち込み、執行猶予のない懲役1年8か月の実刑判決が出ました。私が一対一で話し録音したことによって、解決した事件です。

 これを機会に、防犯カメラの設置や、警察とのホットラインの常設、警察OBの雇用など、院内の防犯体制を強化しています。

 家は安芸郡府中町にあり、毎日通勤しているのですが、病院の近所にも建てています。

 今では宴会などで使い、安芸高田市医師会の先生たちと騒いだり、市長など行政関係者を招いたりしています。当院の関係者で集まって花見やバーベキューをしたりもします。大病院ではないので、誰も住まない私の家は、ちょうど良い広さなんです。

 院内連携や、院外連携がうまくいかないと、医療が立ち行かないのが安芸高田市の現状です。こうやって顔をあわせてみんなで楽しむことが、病院の運営にも一役かっていると思います。

 広島市の生まれですが、福山誠之館高校(福山市)の卒業です。当院婦人科の岩沖靖久副院長は、弘前大学出身ですが、高校の同級生です。広島県の高垣広徳副知事も、高校時代の同級生です。

 高校卒業後1年浪人をして、広島大学の医学部に入学しました。建築士になりたくて、九州大学の工学部にも願書を出していたのですが、体調が悪くそちらを受験することはできませんでした。その時体調がよければ、医師にはなっていないかも知れません。

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 三人兄弟の長男です。私が医学部に進んだことで、1年浪人した年子の弟は、航空学科志望から医学部志望に変わりました。愛媛大学医学部に2期生として入学し、卒後そのまま同大の循環器内科に入局しました。今は大洲市の喜多医師会病院院長です。末の弟は浪人することなく広島大学に入学し、第二外科に入局しています。私と同じく、ネズミの肝移植の研究をやっていました。今では国立病院機構柳井医療センターの院長をしています。

 妻は大学の同級生で、広島市内で皮膚科を開業しています。父は電電公社に勤めており、医師の家系ではありませんでしたが、気付いてみればそれぞれの子供も医師になり、親戚で集まれば医師が11人になりました。私が医学部に挑戦していなかったら、兄弟は誰も医師にならなかったでしょうから、人生は不思議です。今も三兄弟で集まって、アウトドアを楽しんでいます。


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