医学が進歩すれば病気は次々に治ると思う医師が多くいる一方で、最後には高齢者特有の病名で病院に戻ってくるから、病気は治せず、緩和がせいぜいだとする医師もわずかながらいるそうだ。
私がこの世を去る時、死因が何であろうと、周囲に恨みつらみを吐いたり毒づいたりしたくない。本心から感謝の言葉を伝えて生涯を終えたい。
まずは妻。何万回お礼を言っても足りないほどである。先に逝くことをよろこび、しかし残すことをかわいそうにも思う。2人の娘にも感謝したい。よき父親とは言えず、陰ながら苦悩した日もあったはずだ。そして2人の弟。私は兄弟に恵まれた。母が今のまま生きていれば、最大限の感謝と詫びと、むこうで待っているからと伝えたい。孫が私の死を見届ければ情操教育にはなるだろう。
その時、そばにいる医師にも、あなたが主治医でよかったと感謝したい。治せなかったじゃないかと毒づいたら、私の最期がぶち壊しになる。
となると、しょげ返っていられたら困るのだ。医療の敗北だと言われたら、こっちが敗者になる。あなたの手が神になれなかったことを私のせいにしないでもらいたい。
だから私は、主治医を人柄で選びたい。努力の結果、どんな結末に至ろうと、あなたでよかったと感謝できる医師にそばに居てもらいたい。
※この文章は昨年12月20日の九州医事新報に掲載したものです。