医療事故と法律⑪
刑事事件でも、民事事件でも、結果が悪ければ責任を問われるということはありません。責任が認められるためには、「過失」があり、かつ「過失」と結果との「因果関係」が必要です。
この「過失」、「因果関係」というのは、刑事、民事に共通して使われる言葉です。しかし、その意味するところは、刑事と民事とでやや異なります。いろいろな学説も絡んで複雑、難解な部分もあるのですが、私にできる範囲で説明してみます。
注意すれば認識できた(予見可能である)ことを不注意のために認識しない心理状態を「過失」という言葉で表現するとして、そこにいう「不注意」とは、何を基準として判断されるものなのでしょうか。言い換えれば、どの程度の注意能力を発揮すれば、「注意しても認識できなかった」=「予見可能性がなかった」という弁解が成り立つのでしょうか。
民事責任の根拠である不法行為制度の指導理念は「社会的損失の公平な分担」です。そこでの過失は、その職業、地位、階級などに属する一般普通の人の注意能力を基準として判断され、個人的な能力は問題になりません。このような注意能力を基準として判断された過失を「抽象的過失」といいます。一方、刑事責任の本質は、行為者個人に対する人格的批難です。そこでの過失判断においては、「抽象的過失」があることを前提とした上で、さらに、その加害者個人の能力を基準として、その具体的事態に即し、結果を予見する能力が備わっていたかどうかが問題になります。このような手法で判断された過失を「具体的過失」といいます。
民事上の過失と刑事上の過失には、以上のような違いがあります。つまり、過失を主張する側からすれば、民事上の過失のハードルに比べて、刑事上の過失のハードルが高いということになります。医療事故で損害賠償責任が認められる事案の数に比べて、医療事故で刑事処罰される事案の数が圧倒的に少ない理由の一つは、この過失概念の違いです。
もう一つの大きな違いは、「過失」の主体となるのが、刑事事件の場合においてはあくまでも医療従事者個人であるのに対して、民事事件の場合には、医療機関(正確にはその開設者)が主体となり得るという点です。実際、病院での医療事故には、多くの医療従事者が関与するため、医療従事者個人よりも、医療機関に不法行為上の使用者責任を問う、あるいは診療契約上の債務不履行責任を問う方が、被害者にとっては主張・立証が容易であり、実体にも即しています。前回、無罪判決の例として出した東京女子医大事件の場合、人工心肺の操作を担当した医師が、脱血不能の状態に立ち至ることを事故前に認識し得たか否かという点が問題になりましたが、仮にこの事件が民事訴訟になっていたとしたら、その担当医個人の予見可能性というピンポイントではなく、医療機関としてそれを予見する機会があったかどうか、あるいは手術にあたっている医師たちが患者の異常を認識し得たのはどの時点か、異常を認識した場合に何をすべきであったかといった問題、いわば点だけではなく線としての過失が問題になったはずです(本件では実際には訴訟前の示談が成立しているようです)。
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