鹿児島大学大学院医歯学総合研究科神経病学講座神経内科・老年病学 教授
鹿児島大学医学部・歯学部附属病院脳・神経センター神経内科 科長 髙嶋 博
地域に根ざした医療の中からインターナショナルな仕事を
―出身はどこですか。
大阪の茨木市出身です。
鹿児島大学を卒業し、そのまますぐに旧第三内科に入局しています。当時の納光弘教授(鹿児島大学病院長などを経て、現在公益財団法人慈愛会会長)を学生時代から尊敬していたことと、神経内科に興味があったのが入局のきっかけです。鹿大の第三内科には、当時の神経内科の分野では日本で一番人数が揃っていました。そのころは他の土地に行くなんてことが、私には考えられなかったくらいです。何も悩む必要がありませんでした。
第三内科は昭和46年10月、初代井形昭弘先生(現名古屋学芸大学学長)の教授就任から始まります。昭和62年に井形教授が鹿大学長になられ、すぐに納先生が教授就任。納教授は平成19年に退官され、平成22年から私が第三代の教授です。今年5年目に入りました。
今はナンバー内科ではなくなったので、「神経病学講座神経内科・老年病学」という名前になっています。
教授が代わって方針や雰囲気が変わるということもありますが、私は二人の前教授からバトンを受け継ぎました。継続していた研究が途切れることもありませんでしたし、教室の良い伝統を失わずに済みました。こういう良い流れを、後年にも伝えていきたいですね。
井形教授、納教授の時代は、平均して10人ほどの入局者がありました。同門会は25年目で300人を越えていました。今42年目ですが、400人を超えています。
神経内科としては、非常に大きいと思います。筋病理、神経病理、電気生理、脳卒中、遺伝子と、多くのグループに人員を割けることが強みです。遺伝子の検査や抗体を調べるという依頼が、全国の大学からあります。検査はボランティア的な部分もありますが、研究の一環として取り組んでおります。
また、教室からは医学部の教授が18人出ています。地方大学では珍しいことです。二人の前教授が、人を育てることを大事にされたからだと思います。
―現在の入局状況は。
平成16年の臨床研修制度以降、鹿児島大学で医局員を集めることは難しくなってきました。残る研修医は、大学全体で60人程度しかいません。私も人を集めるのに苦労しています。私が在学時から納先生と神経内科を好きになったように、学生のうちに神経内科や教室の魅力を伝えるように心がけています。
教授に就任してからは、医局旅行で必ず招き猫を買うことにしました。効果が出ているのかも知れません。うれしいことに順調に入局者が来てくれています。
―神経内科の魅力は。
神経系の疾患は、患者さんから話を聞いて、得た情報をもとに分析して答えを出します。他の診療科よりも、診察技術のウエイトが大きいことが特徴です。しかしその分、高い診察技術が要求されます。余計な先入観を捨て、周りに惑わされずに何が起こっているか解析することが重要です。無理に、今知られている病気に当てはめることはよくありません。そういうむつかしさも魅力だと思います。医局心得にも「原因のない病気はない。原因を見つける努力をせよ」と書いていますが、分析によって原因を探ることも魅力の一つです。
私に限れば、神経系が好きで、納教授が好きで、診療技術を磨くことに興味があったから、全部があっていたんでしょう。もちろん鹿児島も大好きです。
―教授として重視することは。
良い臨床医を育てるということが一番です。しかし大学ですから、人を助ける研究はやりたいと考えています。
当科からは、新しい病気が多く発見されています。一人一人を診ていると、新しい疾患が見えてきます。診療して治したいというところから始まりますが、一人の患者さんを突き詰めていくと、研究になる側面もあります。そして研究で見つかったことを、患者さんに還元する。「ペイシェント・オリエンテッド・メディスン(患者由来の医療)」「ペイシェント・オリエンテッド・リサーチ(患者由来の研究)」ということをテーマにしています。結果、治療法が見つかる場合がよくあります。
初代井形教授は「限りなくローカルなものを、限りなくインターナショナルへ」と言われました。それを納教授が伝えられ、私もそれを大事なことだと思っています。だから今も医局員心得には「地域に根ざした医療の中からインターナショナルな仕事を」と書いています。色々な場所で大掛かりに研究されている題材ではなく、困っている一人の患者さんを助けるための研究を、世界に広げる教室です。
―遺伝子の研究をされていますね。
医師になって間もないころ、国立療養所沖縄病院(現国立病院機構沖縄病院)で筋ジストロフィーの病棟に勤めていました。筋ジストロフィーは遺伝性の筋疾患ですから、その人たちを救うためには遺伝子の研究に行き着きます。それ以来、遺伝子は私の大きなテーマの一つです。大学に帰ってきてからも研究して、留学も遺伝子の分野で行きました。
平成24年に厚労省から、難病関係研究分野として、遺伝子の解析をするために1億円と大きな補助金を出していただきました。良い研究ができていると思います。
―学会の開催に携わるそうですね。
今年の11月に開催される「第2回日本難病医療ネットワーク学会学術集会」の副会長を務めます。会長の福永秀俊先生は、国立療養所南九州病院(現国立病院機構南九州病院)で院長をされていて、「難病といえば福永」と言われる位、患者さんと歩いてこられた方です。今は退職され、南風病院の院長をされています。
日本難病医療ネットワーク学会の理事長は九州大学神経内科の吉良潤一教授で、一昨年までは研究会でした。最初は「福岡県難病医療協議会」として、平成11年に始まったと聞いています。
医師だけではなく、看護師やソーシャルワーカー、リハビリテーションのスタッフなど、医療に関わるすべての人が参加できる学会です。患者さんも来られます。
まだ2年目の新しい学会なので、責任重大です。今後学会が発展するためにも、良いものを開催しなければならないと、意気込んでいます。私は大掛かりに全国学会の運営に関わるのは、今回が初めてです。今後自分で会長を務めるためにも、福永先生を支えて、経験を積もうと考えています。
―鹿児島らしいポスターです。
学術集会のポスター写真は、私が自宅の前から撮影した桜島です。桜島が好きで、教授就任のちょっと前から、よく見える場所を探して住んでいるんですよ。鹿児島市は桜島の西側にありますから、朝見ると太陽を背にしています。その風景が好きで、出勤前に写真を撮るんです。毎朝良いわけではなく、撮りたいと思う表情は月に1日か2日。全く撮らない月もあります。
時間がなく、趣味の写真に割ける時間が少なくなってきましたが、大好きな桜島は今後も撮り続けたいと思います。