にのさかクリニック 二ノ坂保喜院長に聞く 今一度、在宅ホスピスの原点を考える

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1950 年、長崎県生まれ。長崎大学医学部卒、長崎大学第一外科で研修のあと、救急医療、地域医療の現場で経験を重ね、福西会病院などを経て、1996 年、にのさかクリニックを開業。在宅医としてホスピスに取り組む。著書に『在宅ホスピス物語』(青海社)、『在宅ホスピスのススメ』(監修、木星舎)、『病院で死ぬのはもったいない』(春秋社)などがある。

 8割の人が病院で死んでいる。

 「病院で死ぬ」とは、医療機関で死ぬことだから、最後まで医療の管理下にいることになる。医療を受けずに医療機関にいることはできない。本当に医療が必要な人たちばかりなのだろうか。あるいは現在、「自宅で死にたい」という患者側の希望と、医療費削減から来た政府の誘導が合致したかのように見えるが、それだけで在宅の流れに安心してもいいのだろうか。

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にのさかクリニック 二ノ坂保喜院長

―在宅の原点を再度問う

 在宅ホスピスに長年関わっていますと、在宅で過ごす人たちが、豊かな生活の中で看取りまできちんとやってもらうには、行政や医師会主導だけでは不充分ではないか、質の低い在宅に終わってしまうのではないだろうかという懸念を持つことがあります。そして、そう思う在宅医は私だけではないようです。

 なぜ最初にそれを強調するかというと、高齢社会でたくさんの医療者が在宅に取り組み始めて、普及していくのも大切ですが、質を上げていくことをやらなければ、単に「病院ではお金がかかるから家で死になさい」というだけになってしまう。

 在宅で一番大切なのは、「質を保っていくにはどうすればいいか」。これが非常に大事な問題です。

―人はなぜ病院に行くのか

 病気を治すため、健康を取り戻すために人は病院に行きます。その一方で、「人間の死亡率百%」という現実があります。どこかで人間は死ななければいけない。

 そうすると、病院の役割は、病気を治すことはもちろんですが、治らない場面もたくさんあるという、当たり前のことに気がつくんですね。

 「病気が治らない時にどうするのか」、「だんだん悪くなっていく時にどうするのか」という問題を真剣に考えなければいけなくなります。

 病院に行くのは家に帰るためですから、健康になって家に帰れれば一番いい。そして、障害が多少残っても家で生活ができるなら、それもいい。さらには、病気が治らなくて最期かもしれないけれども家に帰す、ということになります。

―病院の役割はなにか

 「家に帰すのが病院の役目」と定義づけるべきだと思います。

 今日、ある人と話しました。その人は自分の意志で抗がん剤治療をやめ、奥さんはそれが理由で悪化するのではと思っている。そして今日から在宅を始めたんです。そのような人にも「家に帰すこと」、そして「家に帰ってからもきちんとサポートしていくこと」。これが病院の役割だと思います。家に帰せない病院は本来の役割を果たしていないわけです。

 例を1つあげますと、子宮横紋筋肉腫で腸閉塞、尿管閉塞、腎痩、脊髄浸潤で両下肢麻痺の60歳の寝たきり女性が、大きな病院の医師から「あなたは家に帰れません」と言われました。

 これはもう少し正確に言わなければ卑怯です。家に帰れないということは、病院で死になさいという意味です。だから正しくは「あなたは病院で死んでください。私たちの力が足りなくて帰られず、申しわけありませんでした」と言うべきです。なのに「帰られるわけがないじゃないですか」と威張っている医者がいるんです。

 それを聞いた夫と娘さんが、大慌てで私のクリニックに相談にみえました。そこで私は「どんな状態でも家に帰れないことはありませんよ」と言いました。

 自分の命ですから、最期をどこで過ごすかを本人が決められない社会がおかしいんです。するとお二人はよろこんで病院の医師に話し、その医師から私に、「こんな状態で大丈夫ですか」と電話がありました。私も自信はありませんでしたが、訪問看護ステーションのスタッフなどサポートしてくれる人たちを信じ、何とかなるだろうと思ったわけです。

 その方は家に帰ってから、生まれたばかりの孫を自分のそばに寝かせ、あるいは私や看護師を焼き肉パーティに招いてくれました。といっても本人は動けませんので、私たちの乾杯をうれしそうにながめ、私のオカリナにあわせて歌ってくれました。

 この時彼女は痛みがどんどん強くなって、多量のオピオイドを皮下注などで調整して使っている状態でした。

 この女性が家での暮らしをどう語ったかというと「幼稚園に通う孫の走り回る音や、娘が台所に立っている音など、日常の雑音が聞こえることがとてもありがたい」。

 2か月後に亡くなられましたけれども、夫と娘さんが納得いくまで関わり、それを私たちが支えて、最後まで本人の希望をかなえてあげることができた。その満足感、充実感、充足感はとても大きいような気がします。今でもご家族と飲み会をやりますし、5月25日のバザーも娘さんが手伝いに来てくれるそうです。

 またある女性は、自分の父親を自宅で看取ると決めた時、果たしでできるだろうかと不安だったけれどもちゃんとできて、治療をやめたら希望がなくなると思っていたが、毎日家族でいろんな話をして暮らす中から希望が生まれてきたと言っていました。そして、人が死ぬのは自然なことだと感じたそうです。

 私がクリニックを開設した当初、在宅は極力続けようと思っていましたが、今のように年間100人のターミナルケアをするようになるとは思っていなかったんです。

 そのころ私の考えた理念は、「患者とその家族のために」、「職員とその家族のために」、「地域住民のために」、そしてクリニックを拠点にした「国際医療協力」です。

 誰でも参加自由の無料健康教室を週に1回開き、月刊広報紙「ひまわり」は214号まで発行しています。地域にも配っているので、初めて往診に行った家に保管してあった時はうれしいですね。

 クリニックでコンサートや宴会、講演会などもやり、地域の方々と協力してイベントやバザーも開催しています。

―24時間365日を支える

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家に帰ればもう患者ではない。家族であり母であり、祖母であり、妻だ。一升瓶を持って笑っているのは、にのさかクリニックの金崎看護師。その隣は娘さんと夫。撮影は二ノ坂院長。痛みをコントロールしてもらいながら2週間後に、自分の生活の中で息を引き取ったという。

 当院の在宅医療の特徴は「病気や障害によって差をつけない」。がんの末期の人だけを診るわけではないという意味です。

 次に、自分たちだけで抱え込まず、ほかの医療機関との連携を大切にすること、そして20か所ほどの訪問看護ステーションと連携した医療チーム(にのさかクリニックの在宅ナース5人を含む)と、ケアマネジャー、ヘルパー、在宅ホスピスボランティアなどの生活支援チームで、24時間365日を支える体制作りです。患者さんと家族を一つの単位としてとらえて、チームで関わることが大切です。

 これが病院だと、患者さんの背景にある人生や家庭、生活まで目が行かない。私たちはそこを見て、この患者さんには何が大切だろうかと考えるわけです。

 緊急時には、まず訪問看護ステーションに連絡が行き、そこから必要に応じて当院の看護師に依頼があります。私が緊急で呼び出されることは非常に少ないです。

―訪問看護は在宅のかなめ

 訪問看護ステーションの24時間対応は当然です。それをしないなら訪問看護ステーションを名乗らないでほしい。患者さんは必要に応じて24時間看てくれるから安心できるのに、夕方5時以降は電話もつながらないところがいまだにあります。

 看護技術も大切です。自宅で処置をするわけですから、いわば密室なんですよ。だからそこでいい加減なことをする人にはやらせられない。そして、思いやりのあるケア。いくら技術があっても、人間として対応できない人には問題があります。さらに、いろんな制度に精通していることです。

 いま言ったようなことが全部やれれば、機能強化型訪問看護ステーションとして制度の適用を受けられます。でも、制度ができたからやるというのでは、制度を追っかけているだけです。そうではなく、現場から必要なものを創出して、それを制度に上げていくというような考え方が必要だろうと思います。

― 生活支援チームの重要性

 訪問入浴や、ケアマネジャー、ヘルパー、理学療法士、作業療法士などいろんな人たちの協力なしには在宅はできません。

 「生活」とひとことで言いますが、踏み込んで考えてみますと、その人の人生が目の前にあるわけです。だから、病院から家に帰さないというのは、その人の人生をそこで断ち切ってしまうことにもなるわけですから、こんな罪なことはない。

 当たり前のことですが、家に帰れば父親であったり母親であったり、夫であったり妻であったりするわけですよね。だから、その人が家の中にいるだけでも意味があるんです。一人ひとりが人生の物語を生き、それに私たちが関われるのはとてもありがたいことだと思います。

 その人にとっては病気がすべてではなくて、家族や生活のことが気になり、おいしいものも食べたいし映画も観に行きたいというように、いろんな生活があるわけですよね。医療者は病気の管理さえできればいいと思いがちですけれども、患者さんだけでなく家族のケアも常に念頭に置いておかなければなりません。

 ある80代の男性は、一人暮らしなのに家に帰ることを選びました。仏壇の横にどなたか女性の写真が立ててあり、ご本人は日記を毎日つけておられました。それが何十冊にもなっている。それを続けるために帰られたのでしょう。家には思い出も歴史もあるんです。

―ボランティアは生活を豊かにする

 うちには48人の方がボランティアとして登録し、デイホスピス、聞き書き、手紙の代筆、留守番や見守り、訪問看護・医療への同行、イベントへの同行支援など、いろんなことをやっています。医療者は患者さんの痛みや苦痛を取って、その人の人生を支えているつもりになっているかもしれませんが、末期の人であっても生活を楽しむ権利はあるわけですから、そこにボランティアが介在して、豊かな生活を築き上げる支えになるわけです。

 デイホスピスは月に2回、朝10時から2時間ほどやっています。患者さんやご家族が楽器を披露したり、花見のスライドを見たりして、笑いや感動の絶えない時間です。また、ご本人の語る思い出を聞き取って冊子として残す「聞き書き」は、ボランティアが成長する糧にもなります。

 ボランティアについて思うのは、自分の仕事の中にボランティアできる部分があるということです。新聞記者さんなら取材のあと短時間でもいいから乳がん検診を呼びかけるティッシュを患者会のみなさんといっしょに街頭配布するようなことでしょうか。

―地域や全国に増える仲間

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焼酎の水割りで乾杯。在宅では嘘偽りのない思い出がいくつも生まれ、それに医療者とボランティア、家族が参加して彩りを添える。それにしても福岡の人は酒が好きである。

 このような活動を通じて、地域や全国にたくさんの仲間ができました。面白いことにみんな同じことで悩み、同じような成果を獲得していっているんですね。だから初対面なのに話が通じることがよくあります。福岡でいえばうちの2階で月に1回やっている在宅ホスピス事例検討会。これは80回を迎えました。あるいはふくおか・在宅ホスピスをすすめる会や福岡緩和ケア研究会。全国ですと、全国在宅療養支援診療所連絡会や、日本ホスピス・在宅ケア研究会、在宅ホスピス協会のような団体です。個人的に情報交換している医師もいます。全国に仲間がいると、患者さんが里帰りなど長旅をする際に助けてもらえたりします。

 在宅をやっていていつも思うのは、病院の医師や看護師が在宅のことを知らない。そして患者さんや家族も在宅の想像がつかない。だから、在宅ホスピスを経験した家族(遺族)のみなさんから、地域の人たちが話を聞く「在宅ホスピスを語る会」はとても役に立ちます。うちで1月11日にやった時は、3組の遺族に15分ずつ話してもらいました。

―包括的緩和ケアと選択的緩和ケア

 「包括的緩和ケア」について少し。緩和ケアそのものが包括的なので、その言葉はおかしいのですが、現実には、日本のホスピスはがんの末期だけを対象としていますからそれを「選択的緩和ケア」と称して、2つを分けて考えてみます。

 がんとエイズの末期だけを対象とした今の日本の緩和ケアに対して、欧米ではすでに、緩和ケアの経験と知識の積み重ねから学んだものを、神経難病や認知症、重度の障害者などに対しても広げていく流れがあります。

 がんとエイズが対象の「選択的緩和ケア」では、経験のある医師や看護師などが一体化したチームが指導的役割を果たし、「包括的緩和ケア」では、いろんな人たちを診ていきますから、医療チームのほかに生活支援チームの意見も重要になり、対等で平等な関係が必要です。これから在宅をやろうとするなら、包括的緩和ケアの考えをしっかり持っておかないとむつかしいと思います。

―いのちを見つめる社会へ

 病院で死ぬというのは、死が医療に取り囲まれてしまうことです。本来の人間らしい死というのは、生活の中で最期を迎えることです。ホスピスでの死はその中間に位置づけられると思います。

 さらに言えば、人生における死、生きた結果としての死というのは、医学的な問題ではなくて、文化の問題だと思うんです。そうであれば、地域社会の絆だとか、何を受け継ぎ、何を後世に残すのかという問題を考えることにつながります。

 人が生まれた時は若いから死が遠く、生きるにつれて死に近づくと私たちは考えていますが、果たしてそうでしょうか。

 命の中に最初から、生まれた時から死が内包され、その死を体力やいろんな能力で取り囲んで命を守っている。でも貧困や障害などが起こると、命を守っている力が削ぎ落とされ、命が裸になって死の危険にさらされる。重度の障害児や在宅ホスピスの患者さんはこの状態ではないかと思います。つまり彼らはトップランナー。彼らが生きられる社会ならどんな人でも生きられます。

 でも彼らは私たちにこうしてくれとは言いません。だから、学ぶ視点を持って、声無き声に耳を傾ける。それが「はだかのいのちに学ぶ」というとらえ方です。私たちは命を見つめることから始め、それを最後まで貫かねばなりません。


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