「メガホスピタル」を形成し大規模な臨床研究を実現

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岡山大学病院長 槇野 博史

槇野博史 (まきの ひろふみ)1975 岡山大学医学部卒業 同大学第三内科学教室入局 1983 同大学医学部助手 1984 米国ノースウェスタン大学医学部客員助教授 1987 岡山大学医学部附属病院助手 1990 同大学医学部助手 1994 同助教授 1996 同教授 2001 同大学大学院医歯学総合研究科教授(現 同大学大学院医歯薬学総合研究科腎・免疫・内分泌代謝内科学) 2002 同大学医学部附属病院副病院長 2005 同大学大学院医歯薬学総合研究科教授 2009 同大学大学院医歯薬学総合研究科長 2011 国立大学法人岡山大学理事・岡山大学病院長

 厚労省の臨床研究中核病院整備事業は、「日本発の革新的な医薬品・医療機器を創出する、複数病院からなる大規模なネットワークの中核となり、臨床研究の拠点となる機関」に対して研究費や事業費を補助する事業だ。平成24年度に選定した5機関に加えて昨年4月、45機関の応募から新たに5機関を選定した。その一つが岡山大学病院である。10機関のうち、中四国地方で選定された唯一の機関だ。「難病・希少疾患・小児疾患等疾患別ネットワーク」などを形成し、研究支援のほか、国際水準(ICH│GCP水準)の臨床研究で中心的役割を担っている。

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槇野病院長は今年、定年により腎・免疫・内分泌代謝内科学教授を退任。花々は退任の際に感謝の意を込めて贈られたもの。

創立150周年に向けて

 岡山大学病院の理念は「高度な医療をやさしく提供し、優れた医療人を育てる」です。当院には高度な医療を提供できる優秀な医師が数多く在籍し、また、最先端の設備を有しています。私が病院長になって、看護師の数も増やしましたし、センター化を図り人材育成にも力を入れていますので、十分な体制が整っていると言えるでしょう。

 また、昨年の5月には手術室も13から20に増えました。MRIを撮りながら手術するハイブリッド型手術もできるようになりましたし、IVRセンターも作りました。悪性中皮腫へのREIC(遺伝子治療)の臨床研究も始まります。肺移植では日本の症例数の半分が当院の実績です。肝腎同時移植が成功しているのは当院と京都大学医学部附属病院だけです。

 こういった高い水準の医療が提供できることを背景に、昨年臨床研究中核病院整備事業に応募し、採択されました。コンセプトはネットワークによる臨床研究メガホスピタルです。

 岡山大学には中四国や兵庫県に多くの関連病院があります。当院は臨床研究中核病院として200床以上の83施設と連携して、「中央西日本臨床研究コンソーシアム」を発足させました。

 これを3万3千床の疑似的な巨大病院「メガホスピタル」として機能させることによって、日本最大級の臨床研究組織として、医療の発展に貢献できます。

 医師主導治験でなければ実施困難な研究などをすすめる中心的な拠点です。

 メガホスピタルとしてのスケールを活かし、症例数の少ない病院でも、治験に参加し、最新の医療を患者さんに提供できるようになりました。

 また、トランスレーショナルリサーチのために、中四国の大学の各医学部と連携しています。

 現在人工網膜を作っていたり、日本で使えない歯科麻酔が使えるようにしようという動き、治療薬を高用量で使えるようにする試験などを支援しています。

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総合診療棟の一部は入院棟(右)の前に現在建設中。歴史ある建物と新しい建物が混在するところも、岡山大学鹿田キャンパスの魅力の一つ。

 当院は各診療科の治療体制はしっかりしているのですが、各診療科で完結しないことも多くあります。例えば甲状腺の病気は内科で診断しますが、手術は外科医にお願いし、手術の後はまた内科で診ることになります。このように、複数の診療科にまたがるような疾患は、患者さんに対する適切な診断・スムーズな治療を行なうことが大切だと考え、各診療科の連携を強化することを病院長になった時の公約にしました。医系診療科と歯系診療科が協力しやすいように作った「頭頸部がんセンター」などは代表的な例で、私が病院長になってから以降、多くのセンターを作り患者さんに安心・安全で質の高い医療を提供しています。

 今後も患者さんのためにセンター化が必要とあれば、実現していきたいと考えています。

 岡山生まれ岡山育ちで、当院のすぐ近くに幼いころから住んでいます。旧七軒町(現北区南中央町)の生まれです。

 市立深柢幼稚園、市立深柢小学校、岡山大学教育学部附属中学校、県立大安寺高等学校、岡山大学と、岡山市内で育ちました。当院から10分ぐらいのところに今も住んでいます。

 それで病院や大学に対して親しみや思い入れが大きいようで、愛される病院にしたいという気持ちが強くあります。

 当院の大きな問題点の一つは、患者さんの車で交通渋滞していることで、交通整理の警備員が不可欠です。

 そこで私は患者さんになるべく公共交通機関を利用していただこうと、県庁や市役所に通い、敷地内までバスが入れるように働きかけ一昨年の3月からバスの乗り入れが実現しました。降り場から正面玄関までは通路に屋根を設け、雨が降っても大丈夫なようにしています。

 また、これまで岡山駅から170円だったバス運賃を交渉して、140円に値下げしてもらいました。

 交通渋滞が解消されたわけではありませんが、緩和されていると思います。今後も市民に愛されるよう取り組んでいきたいと思います。

 高度な医療を提供するだけでは、大学病院としては不十分だと考えています。

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槇野院長の1st 写真集「後楽園の四季と瀬戸内の光」に収められた「五十三次腰掛茶屋より唯心山を臨む」と題された作品。

 教授就任の2年目に、腰を痛めて当院に入院をしました。患者側になったその経験は、当院の経営にも生かされていると思います。

 退院後リハビリが必要になり、プールを歩いていたのですが、飽きたので後楽園(岡山市北区。日本三名園の一つ)を歩くことにしました。その時から写真をはじめています。

 私は腎臓の内科医で、特に腎生検を電子顕微鏡で見ることを専門にしていました。写真を撮って、焼き付ける作業を仕事としてやっていたんです。写真の基礎は、その時に身につけていました。

 院内にも数点展示しており、患者さんにも喜んでもらっています。

 平成32年には医学部創立150周年を迎えるため、若い先生に学部や第3内科の歴史を教えています。病院と医学校は、明治期は東山(岡山市北区)のお寺にありましたが、大正10年に現在地に移ってきました。今は北区鹿田町ですが、当時は鹿田村でした。その頃の建物が学内にはまだ残っています。

 医学部の源流は明治3年岡山藩医学館設置に遡ります。岡山藩主池田光政は社会福祉政策や儒学などの学問の奨励を行い、医療へ高い関心を持っていました。また、岡山藩医学館設置に貢献した石坂桑亀はシーボルトから蘭学を学び、岡山で開業のかたわら蘭方医学の普及に努め、和洋折衷の外科手術をもって活躍することで岡山に合理的な医療を求める機運を形成しました。

 岡山大学医学部は今、150周年記念事業としてキャンパスの整備などを行なっています。6年後はもう次の病院長ですが、良い形でバトンを渡せるように、これからも病院の改善を進めたいと思います。


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