久留米大学医学部長 内村直尚
医学部長に就任して一年経つ。今年2月に福岡県医学会総会の学会長を務めるなど、学外での活躍も多い。「医者の仕事だけじゃなく、初体験のことばかり。面白いけど大変で、思い通りにならないこともある。でもやはり面白い」と言う。戦後70年になろうとする中で、団塊の世代とゆとり世代について語ってもらった。久留米大学への思いも聞いた。
―高齢化社会と団塊の世代。
団塊の世代の人たちは今ちょうど定年を迎える年代で、私の領域で言えば自殺が多いですね。
戦後すぐに生まれて、日本の復興のために、学校でも就職しても競争社会で、眠る時間も削って働いて、そしてこれだけの日本の産業を支え、発展させてきて、教育面に於いても日本を引っ張ってきているわけですね。
あの世代の人たちは、休まずに働くことが身に染み込んで、弱音を吐くのは人間として恥、特に男性がそうで、精神論のもとに頑張ってきたんです。少し余裕を持って働こうとか、ちょっと休もうというような気持ちが少ない世代です。その人たちの中には今、うつ病になって自殺している人が少なくありません。
仕事一筋の人たちというのは、退職したあとに、職場にいた時のような人間関係が作れず、孤立化してうつになったり、活躍する場がないために目的を失って、アルコールに走ってしまって自殺するとか、ひたむきに前を向いて頑張ってきた世代ですから、退職したあと大きな喪失感に襲われる人たちは多いです。
彼ら(団塊の世代)は、大学紛争で戦ってきた世代です。日本をここまで発展させたという思いもあるでしょうし、それでいながら突然、退職してしまうことによって、最前線から退かなければならないという不全感、喪失感があるでしょう。
いろんな知識もあるし能力もある、体力的にもまだやれるという思いがありますから、そこから生じる不満、世の中に対する思いがあるはずだから、素直になれないところもあるでしょうし、いろんな場面で闘いを挑もうとするエネルギーもあるでしょう。
彼らにいかに溶け込んで、思いを共有できるシステムを作っていくことが大切ではないかと思います。一つ間違えば大きなネックになるし、強力な戦力にもなるでしょう。昭和の時代を生きてきた経験と能力を持っていますから、高齢化社会の中でまだまだ働けるわけですから、社会がどう働きかけていくか、それができるかどうかです。
しかし今、60歳を過ぎて再就職の場はあるかもしれませんが、納得できるかどうかは疑問ですよね。部長職などでバリバリ活躍していた人が、その職歴を生かせない仕事に就き、屈辱を味わったり、プライドが損なわれたりするという話を聞いたことがあります。そのような人たちを活かす受け皿が、たぶんないのだと思います。
これからお年寄りが増え、地域や家庭、在宅で暮らすようになりますから、彼らが中心となって各地域にネットワークを作ってくれたら、それだけでも地域は違ってくるでしょう。まだまだ日本は、医療と介護が上手に結びついていないので、特に介護の分野で、活躍できる場を作ってあげるというのは大事じゃないでしょうか。
―精神疾患のこれから。
てんかんの方でも統合失調症の方でも、うつ病の患者さんでも一緒だと思うんです。道路交通法で規制されたり、人を死に至らしめてマスコミに大きく取り上げられたりしています。でも、精神疾患でない人でも事故や事件はたくさん起こしているんです。
統合失調症の患者さんは、人に嘘がつけず、おだやかで純粋だからこそ、病気になっていくわけであって、たまたま事件を起こすと、偏見の目で見られやすいです。だから、いかに自分の病気と付き合っていくかです。
病気自体で命を失うことはないわけですが、偏見はがん以上でしょうね。「自分はがんだ」と言っても、仕事を奪われたり、偏見の目で見られないわけです。でも、てんかんとか統合失調症だと言えば、周囲から違った目で見られ、免許証を返上するとか、仕事を奪われるとか、人としてこの世の中で生きていく上では、がんよりもよほどつらい思いをしなくちゃならない。周囲の目のきびしい中で、どう生きていくかというのは、いちばん大事なことですよね。
てんかんにはいろんな患者さんがいて、完治する人もいるし、何年も発作が出ない人もいます。生活面を注意しながら薬をちゃんと飲むことで、発作はある程度コントロールされてきています。医師や弁護士などの職にもてんかんの人はいます。病気を隠すのではなく、患者会などに入って自分の人権を守り、メッセージを出すことによって、周囲の偏見は取れてくると思うんですよね。
QOLの維持という意味では統合失調症の患者さんも同じです。
最近は、65歳を過ぎててんかんを発症する人が半数くらいいます。
昔は若いころしか起こらないと思われていましたが、そうじゃなく、若年の発症と高齢の発症と、大きく2つに分かれています。高齢化社会になることで、65歳以上でてんかんを発症する人が増えますから、いかに病気と付き合うかが大事になってきますよね。
―偏見をなくすには。
一般の人に、病気についての教育も大事ですが、ご本人とどう向きあっていくかという体験も重要です。車いすで生活している人が身近にいることで、自然に対応ができるようになり、それは一生の財産になります。
偏見や差別が日本に根強いのは、恥の文化みたいなものがあるからかもしれません。差別を恐れて自ら隠してしまうとか、周囲の目を気にして、自分の状況を伝えないことはあるでしょう。人目を忍ぶというような状況が過去にはあったと思います。これからは大学でも、講義だけでなく、障害を持った人への実体験も必要になってくるでしょう。
ゆとり世代はもっと挑戦を
―若い世代に思うこと。
学校でも家庭でも競争せずに育ってきて、長所もなければ短所もない、平均的な人が増えてきています。物足りないというか、もっと自分を主張して、積極的に前に出てほしいところがあります。
組織の中で揉まれた経験がないまま突然競争社会に出て、コミュニケーションがうまく取れずに引きこもってしまって、孤立してしまう人が多いです。
そこを本人がどう解決すればいいかというと、たとえば東北の震災地にボランティアに今からでもいいから行って、自分が何をすべきかを考えることです。恵まれていない状況のところはいっぱいありますから、そこに自分の身を投げ出せばいいと思います。
やはり「自分で考える」ということです。自分の肌で感じて、何をすべきかを考え、実際にやってみる。その経験が大事だと思うんですよね。
一人っ子で育って、順調に最短距離を歩んできていますから、指示が無いからやらない、教えてくれないから分からない、というふうになるんです。ネットやマニュアル本など、簡単な道を探して労を惜しむ。でも、無駄なことをするのは大事だと思うんです。時間やエネルギーをかけるのは無駄ではない。それ自体が身につくのだと思います。
身を投げ出し、考え、行動してみて、どうなるかを味わってみる。その経験を積むのが大事です。バーチャルではしょせん疑似体験ですからね。
死生観や人生観は実体験の中で身につくものだと思います。特に医者になるような人は、いくら教科書の中でターミナルケアとか終末をどう迎えるかを学んでも、死に出会ったことがなければ身につかないですよね。
やはり自分の身をもって経験してもらいたい。若いうちに、国内でもいいし海外でもいいから、自分の土俵の外に出て、そこがどうなっているか、そして自分がどう関わるかを体験してほしいと思います。
―今の職務から見えること。
すべての職種、いろんな年代の人に言いたいのは、組織全体を考えた上で、自分のポジションがどこなのかを考えてほしい。自分がしあわせになるためには、組織自体、大学自体がいい方向に向かっていかなければ実現しないわけです。そこを出発点として考えて行動してもらいたいという思いがすごくあります。みんなの力を一つにすれば、できないこともできるようになります。
久留米大学という医学部を持った総合大学が、少子化や予算の緊縮など厳しい時代を乗り切っていくために、久留米大学への愛情を持ってもらいたいと思いますね。自分自身や家族を愛するのと同じくらいに久留米大学を愛してほしい。愛する力はとても大きなエネルギーを生みます。それが自分たちに跳ね返ってきます。自分の中に誇りが生まれたら、行動や言葉が変わってきます。個人として褒められることはむろんうれしいです。でも、さすが久留米大学はすごいなと言ってもらえたら、それもうれしいことです。