理念「必要不可欠」の向こうに

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医療法人かぶとやま会 久留米リハビリテーション病院 理事長/院長 柴田 元

1977 久留米大学医学部卒。同第Ⅲ内科(元:心臓・血管内科)入局。1979 門司市民病院勤務を経て大阪国立循環器病研究センター勤務。1983 久留米大学医学部第Ⅲ内科助手。1996 医療法人かぶとやま会久留米リハビリテーション病院病院長に就任。現在に至る。■研修関連=1985-1987 九州産業医科大学リハビリテーション科非常勤講師。1995、1996 デンマーク、ドイツ、イギリスなどで医療・介護・福祉研修。■日本循環器学会=循環器専門医。日本リハビリテーション学会=リハビリテーション専門医、指導医。日本体育協会公認スポーツドクター。■久留米市介護認定審査会会長、久留米市事業計画推進協議会委員、NPO くるめ地域支援センター理事長、財団法人日本医療機能評価機構ー統合版およびリハビリテーション付加機能に関する訪問調査者おのび評価部会員。筑後地区の脳卒中医療連携の会世話人、久留米認知症ネットワーク研究会世話人、筑後地区脳卒中地域連携パス委員会世話人、久留米地域リハビリテーション研究会世話人。

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柴田院長の趣味は読書。写真は院内にある柴田院長専用の書庫

 駅から歩いてきたと言うと驚かれることがよくある。

 久留米リハビリテーション病院もそうで、JR久留米駅で久大線に乗り換え、無人駅の善導寺駅で降りて、そこからおよそ1時間、山のふもとまで歩いた。やはり受付職員がびっくりし、別の職員が奥から出てきて、「ここからしばらく下ったらコンビニがあり、そこにバスが停まるから、帰りはそのバスで御井(みい)駅まで行けばいい」と教えてくれた。

 歩けばいろんな人に道を尋ねたり、こうして教えてもらったりして、地元で暮らす人の横顔を見ることができる。また今回は、有名な久留米ハゼ並木を眺めることもできた。

二つの家訓を基礎として地域を考える

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床走行式リフト

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浴室リフト

―かぶとやま会の理念「必要不可欠」が心に残ります。

 少子高齢化の社会が到来している中で、職務を通じて地域とともに生き、あるいは地域を生かすには、「あると便利」ではなく、「ないと困る」くらいの心構えが医療者側に必要です。そうしなければ地域自体が成り立たなくなるのではと危惧しています。

 当院は明治9年(1876)、柴田元龍正克が開業しました。元龍は天保12年(1841)生まれ。長崎のマンスフィールドのもとで西洋医学を学び、東京医大を経て、当地に開業したんです。長男の磐はシーボルトに学んだそうですし、婿養子で2代目の藤ノ助は、東京医大に学びました。継承は途切れることなく続き、明治36年(1903)には兜山麓療養所、昭和46年にはリハビリテーション医療に舵を切り、時代の変化とともに変わっていく地域のニーズに合わせた医療を進めてきました。私で5代目です。

 家訓の掛軸には「醫者自然良能之臣僕也」と書かれています。―医者は患者の自然治癒力を活かし、むやみに検査や薬の処方をしてはならない―の意味で、さらに第二の家訓として地域貢献活動があります。すべての経営方針はこの二訓を基礎とし、職員には、社会に対しても「必要不可欠」となるよう求めたいと思います。生き甲斐、やり甲斐はそこから生まれ、結果として自身も生かされていくことを忘れないようにと伝えていきたいと思います。

 「隙間産業」と私は呼んでいるのですが、小さな病院ですから、これは当院にしかないと言われるような、専門性の高いサービスを提供していこうと思っています。

―病院が能動的に地域に働きかける時代だと感じます。

 私は院長職のほかに、久留米市介護認定審査会の会長と、久留米市事業計画推進協議会の委員、そして市の地域包括支援センター事業を一括で受託しているNPOくるめ地域支援センターの理事長、県のほうでは福岡県筑後地区介護予防支援センター代表職にあり、国との関わりでは、国土交通省交通事故短期入院事業を受託し、各種研修会を開いたり、事業に関して国交省に助言したりしています。また去年から、介護保険に頼らない、高齢者の在宅自主・自助グループの支援を行なっています。また日本医療評価機構の調査者と評価部会員でもあり、こういったことをやっていますと、医療と介護と福祉の全体像が何となく見えてきます。その中で、当院のある久留米の東地区はこの先どうなっていくんだろうかと考えるわけです。

 久留米市は中心地が西に寄っていて、大きな病院や福祉施設がたくさんあり、国の言うコンパクトシティ的なものができつつありますが、高速道路から東でそれをやると地域が壊れてしまいます。だから、全部をひっくるめた中での地域づくり、町づくりにどのように関わったらいいかをずっと考えています

 もちろん一人ではできませんから、いろんな方の意見や協力をもらいながら、半年か一年くらいの時間をかけて、図面を書こうと思っているんです。

町づくりもした方がいいかも知れない

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インタビュー当日、スタッフステーションで撮影

―その青写真を共有している人はほかにいるんですか。

 いえ、発想がちょっと違いますからね。診療報酬の改定があるからやるみたいな話じゃないですから。たぶん誰も考えていないことだと思います。

 でも、時間があまりないんですよ。早く図面を頭の中に描いて、それを紙の上に落とし、有識者や建築会社、大学の研究者、あるいは業者、事業所などに見てもらい、いま私が思っていることが事業として形になるのかどうかを確認したい。

 ボランティアでやったのでは根付かないし、持続可能でもないし、ほかの人が真似しないのでは広がりませんからね。やはり収益事業としてちゃんと成り立つように育てなければなりません。

 大切なことは地域の人が何を望んでいるかです。それを今、2か月に1回の地域講演会で聞いています。高齢者だけでなく、障害者への対策が途中で抜けてしまっているので、障害を持った人たちも、どう町づくりの中に入れていくか。それに少子化対策も高齢者医療も、全部ひっくるめたら、どんな町になるでしょうね。

―コミュニティの再建ということになるんですか。

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上は昭和26〜27年ごろの兜山麓診療所。下の2枚は現在の久留米リハビリテーション病院。背後に兜山(標高317メートル)が見える。

 そうかも知れません。ある恩師の言葉に、包摂型(インクルージョン)コミュニティがあります。「障害者を包み込んだ町づくり」と言えば分かりやすいでしょうか。

 障害者は本来、支援を受ける側です。その発想を変えて、自分のできる仕事はしてもらう。可能な人には高齢者のお世話もお願いする。そうすれば障害者の働く場所も作れるかもしれません。そこに人が集まれば、介護や看護職も集まるかもしれないし、そうなれば住宅も必要だろうし、子供を育てるための環境を整える必要も出てきます。

 今、子供を取り巻く環境は決して良いとは言えないので、静かで落ちついたコミュニティができれば、たとえばシングルマザーでも子供を預けて働きやすいのではないかと思いますね。

 そうやって外の人を入れていかないと、高齢化の進んでいるこの地域にいくら施設を作っても、そこで働く人がいないのでは意味がない。当院は専門性が高いので、利用者は県外からも来てもらえるのですが、町としては荒んでいきますよね。遠くから人は来てくれるけれども周囲には家がないでは、さみしいものですよ。

 140年近く続いて来ましたけど、これから人口が減っていきますから、何十年かのちに久留米がどうなっているか分かりません。地域の人たちと町づくりをしながら、その中でうちの病院がどう生かされるかを考えないと無理ですよ。

 私は今年62歳になるんです。私の代だけならこれでもういいかなと思っていたんですけど、うちの子供たちも社会に出て行くし、10年後くらいに帰ろうと思えば帰って来られるようにしておきたいので、社会に対して1回恩返ししようかなという気持ちもあります。

―何人かの方にもう話はしているんですか。

 1人か2人には「どう思う?」と尋ねたことはあるんですが、構想自体を話したのは、実は今日が初めてなんですよ。

 すべてを新しく作ることは、とてもじゃないけどできないので、既存のものをどう組み合わせるかを考えながら、家族に言うと怒られるので黙っています。今はただの絵に描いた餅で、実現可能な計画にしなければ誰にも話せないですよね。でも時間はあまりないし、とにかく走れるだけ走ってみようと思いながら正月を越しました。

―貴院の強みは何でしょう。

 うちは病院本体と小規模多機能施設の2つしかありません。

 リハビリテーションに関する技術の向上、設備の充実には日々努力しています。頚椎損傷、重度障害者、全介助の人、140キロの人、7歳8歳で交通事故に合った子供も扱えます。

 実績として「4歳から104歳まで、40キロから140キロまで扱えます」と称しているのは、体重が140キロや150キロの人でも使える車椅子やベッドがあるということです。100キロ以上の人を抱えるリフトも何台も確保してあります。これは広く理解されていて、市内外の急性期病院から紹介いただいた患者さんが80%くらいを占めます。そして早く地域に帰っていただくために在宅支援のスタッフを置いています。

インクルージョンタウンという発想

―先祖の血を引いているなと感じることはありますか。

 私はこの町の出身ですが、医師になってから大阪の国立循環器病研究センターにいて、循環器しかやったことがなく、まさかリハビリをやるとは思いもしませんでした。継ぐ気もなかったんですが、いくつかの事情で引き受けざるを得なくなり、先代をさかのぼってみて、つぶすわけにはいかんな、じゃあやろうかと。大阪に骨を埋めたかったんですけどね。しかし食べ物はこっちの方がよほどおいしいですよね。

―現場の活気はどうですか。

 若い職員が多いため産休などで大変ですが、子育て支援をしながら理念を理解してもらうよう努めています。お金で釣ったらお金で逃げますから。

 そういったこともあって、この地域に若い人が住めるような環境を、地域の皆さんやクリニックの先生方ともいっしょになって、街型のコンパクトシティではなく郊外のコンパクトシティ、私はそれをインクルージョンタウンと名づけていますが、そうならないかなと構想しているわけです。

 私が町づくりを考えるなんておこがましいんですけど、それが実現可能なものなら誰かがやらなければと。

NPOくるめ地域支援センターの参加法人

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医師を志したころの元龍

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初代の柴田元龍正克(天保12年生〜明治35年没)

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昭和26~27 年ごろ兜山麓療養所で開かれた座談会には三井地区の総務課長・保健所役員、 社会復帰した結核患者などが出席。模様は西日本新聞掲載されたという。

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柴田家に残る家訓の掛軸

【役員会員】
医療法人かぶとやま会=久留米リハビリテーション病院
社会医療法人天神会=新古賀病院、古賀病院21、古賀クリニック
医療法人聖峰会=田主丸中央病院
社会医療法人雪の聖母会=聖マリア病院
医療法人三井会=神代病院
医療法人社団豊泉会=丸山病院
医療法人八十八会=ツジ胃腸科医院
医療法人 聖ルチア会=聖ルチア病院
社会福祉法人城島福祉会=ふれあいの園
社会福祉法人東合川福祉会=光寿苑
社会福祉法人屏山福祉会=山翠園
社会福祉法人三井福祉会=宝生園
社団法人久留米医師会
社団法人久留米歯科医師会
社団法人久留米三井薬剤師会
公益社団法人福岡県看護協会
公益社団法人福岡県栄養士会
社団法人福岡県理学療法士会
公益社団法人福岡県作業療法協会

【役員会員】
社団法人福岡県歯科衛生士会
社会保険久留米第一病院
社会福祉法人長生園

※地域包括支援センターで働く主な職員は、太字の11 法人からの出向職員。保健師、看護師、主任介護支援専門員、社会福祉士で構成。


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