医療法人 森和会 行橋中央病院 院長 福岡糖尿病臨床研究所 所長 梅田 文夫
中小民間病院のメリット生かし
当病院は148床で、一般病床が98床、療養病床が50床あり、行橋市の真ん中あたりに位置した中小地域病院です。
急性期、慢性期医療、有料老人ホーム運営、デイサービスを行なったり、また療養、介護などを含め、法人内での一貫した流れの診療をやっている病院で、在宅医療の往診もやっています。 特に高齢者医療全般をやるのですが、私が専門ということもあり、糖尿病の診療を充実させています。リウマチの患者さんも最近増加しています。リハビリ部門もありますし、脳血管疾患や整形外科的な病気のリハビリも含めて活発にやっています。
当院で透析される患者さんも最近は高齢化しています。糖尿病性腎症から透析に入る方が多いです。生活習慣病健診から糖尿病の診療、合併症の診療まで幅広く診療しています。
もう一つの特徴はNSTです。いろいろな職種のチームでカンファレンスをして高齢者の栄養管理に力を入れています。外科系の病院であれば術後の回復でいいのですが、内科系患者のNSTのサポートは非常に難しく、高齢患者の長期管理になります。できればメンタルな管理もしたいのですが、臨床心理士が今はいないので、そこまで手が回っていない状況です。
糖尿病診療として行橋市の中心的存在で、病病連携・病診連携の音頭を取り、糖尿病に特化した地域連携にも力を注いでいるところです。どうすれば地域連携がうまく取れるかはなかなか難しいことですが、医師会のIT連携もさることながら、ドクター同士が知り合うところから掘り起こしていかなければならないので、そのためのツールとしてドクターの勉強会を開いたり、医療スタッフの勉強会を開催して連携の絆を深めていく努力をしているところです。
病院の理念は「患者さんのために」と「安全な医療を提供する」ということです。それには患者さんも含めた地域住民全体で病気のことを考えることも必要ですし、病院内の全職種が連携して患者さんを診療していくことも大切です。そういう意味では、当院のような中小病院ならではのコミュニケーションの取りやすさはあります。
̶将来の構想と今後の病院経営について。
将来は病院内完結型連携を目指しています。急性期から慢性期、介護、在宅医療という流れを、こじんまりでもよいので、病院内でできるようにしたいです。
患者さんのための医療を行なうためのより良い環境設定や、医療機器の充実を図り、医療安全と院内感染の対策にも力を入れていきたいと思います。
病院の経営理念は利益追求ではありません。国公立の病院は医療経営については相当な改革をしなければ変わっていかないでしょうが、私どもの規模の病院は患者さんさえ来ていただければいいわけです。
通常の企業は利益を追求していかなければならないのですが、病院は地域のためのサービス業ですから、患者さんのために何を還元できるかを常々考えておく必要があります。
それとアベノミクスの影響で賃金を増やそうという動きがありますね。ですからうちのような中小の民間病院でも、どうしたら職員の賃金を上げられるかを考えているところです。これも職員への還元です。
これからの病院経営から言いますと、法人税や消費税が増えると病院経営は苦しくなります。そういうギリギリのところがあります。当院では、その場その場で院内の対策会議を開いて対処しています。
̶スタッフは地元の方が多いですか。
ほとんどが地元ですね。
結構スタッフの親戚の方も患者さんとして来られますから、まさに地域に根を張った形になっています。地域医療の姿としては理想的だと思います。医師や看護師さんの確保はどこの病院も苦労していると思います。地域密着はいいのですが、結局、地元だけからは医師や看護師がなかなか集まらないのが現状ですね。その辺をどう解決していくかが今後の課題です。
̶若い医師に望むことは。
医療制度にしても医療技術にしても、日本は世界をリードしていると思うんですね。ただ、それを続けて発展させていくには若い医師の教育、ドクターになる前からの教育、なってからも研修制度の中でのたゆみない修練が必要だと思います。
若い医師はみんな優秀ですが、患者さんへの接し方がヘタになってきているような気がします。
決してレベルが下がっているわけではないのですが、コミュニケーションや信頼関係の構築がヘタになっています。診療がコンピューター化されて、極端にいえば外来の診療でも患者さんの顔を見ずに、コンピューターの画面だけを見て診察が終わるということです。
外科の先生で手術だけがうまくなればいいと思っているとすればそれは大間違いで、患者さんを統合的な観点から見て、患者さんの置かれている社会的、家族的背景なども理解するよう、もう一度、医師の原点に戻って考え直していかないと、進歩ができないんじゃないかと思います。結局、ドクターも患者さんも一人の人間ですから。
山中信弥先生がノーベル賞をとったことで、日本の医学界にパワーがでてきたと思います。
山中先生が言われた、「これまでノーベル賞は、研究が終わって何年も過ぎ、リタイアしたような人がもらっていた。でも自分はまだ50歳で、ipS細胞の臨床応用はこれからである。その責任を自分に課せられた賞にしたい」という言葉に感動しました。将来の熱意までも語られた山中先生のようなすばらしい方の言葉を聞いて医師を志す若者が増えたらいいと思っています。
―医者を志したきっかけは。
出身は長崎県の離島、対馬市です。中学3年になる時に担任から、「お前は博多に行って勉強してこい」、「親は自分が説得した」、「下宿も探している」と、ある日突然言われました。その時にいろいろと自分の将来のことを考え、当時は島に医者がそんなにいませんでしたから、島のみなさんが安心してかかれるような医者になりたいと考え医学の道を志しました。
親からは何になりなさいとかまったく言われた記憶はありません。すべて自分の意思で決めたんです。まだ島の皆様に恩返し出来ていないのが心残りではあります。
(聞き手と写真=新貝)