社会医療法人共愛会 戸畑共立病院 下河邉智久理事長 宗宏伸副院長
「当院が、がん拠点病院になる時、共愛会が総力を挙げて緩和ケアまでやるべきだとの話が出て2年。緩和ケア病棟の本格的運営から1年経ちました」と宗宏伸副院長は話す。今も模索する日々が続くと言う。外科医としての思いや現場の様子などを聞いた。下河邉智久理事長が同席した。
―これだけの施設があれば、緩和ケアも総合力が活かせますね。
宗 緩和ケアを立ちあげるに当たっては、緩和ケアをやりたいという看護師が集まりましたので、勤務異動で来たという感覚は少ないと思います。それが、同じ方向を向ける理由だと思います。私自身も緩和ケアが必要だと思って参加しました。
日ごろ患者さんや家族と接しているのは、看護師、リハビリ、ソーシャルワーカーといった人たちで、私は指示をして回診することくらいです。患者さんのカンファレンスの時に、スタッフから「この患者さんはこういう状態なので、この薬の方が良いのではないですか」とバンバン言われますね(笑)。
緩和ケアスタッフの特徴として、患者さんが亡くなって落ち込むのではなく、いい亡くなり方をさせられなかった際に落ち込む人が多いようです。
―戸畑共立病院が緩和ケアで地域のシンボルになるとすれば。
下河邉 勉強会をやろうと先日話したばかりです。研修会は頻繁にやっていますが、勉強することがまだたくさんあります。
宗 看取りの医療と急性期の医療はまったく違うので、いま現役でやっているスタッフに看取りとはどういうことかをもっと知ってもらわないと、連続性がないんですね。
急性期から緩和ケアに移ったら急に治療が変わるんですよ。本当は徐々に変わらないといけないんです。元々、緩和医療というものはがんが発覚してから始まるわけですが、病態によって治療が全然違うのに、亡くなるまで急性期の治療をしていたわけです。
腹水がパンパンに溜ったりして、あれをどうにかしたいと思って勉強したら、やはりまったく違う方法を探さないといけない。そういうことを、急性期を治療しながら勉強しておくと、いい流れになると思うんです。
―外科医は自分の手で患部を取り除きたいという強い意志があると聞きました。
宗 そういう気持ちだけでやっていると、最後の看取りが納得できないでしょうね。急性期の医療をしている医師にも緩和ケアの知識が必要です。でも若い人は治療で精一杯、自分のスキルをアップさせることに精一杯ですから、そこを指摘するのも可哀想な気もします。
私は今54歳で、60までバリバリ外科医のつもりだったのですが、最近、緩和ケアの方に移って、一方ではいい終わらせ方をしてあげたいという気持ちと、一方では治してやるぞ、という気持ちで揺れた時期がありました。
―「病気を診て人を見ない」という言葉があります。
宗 画像だけを見て、手術だ、手術だと言う時期もありました。しかし患者さんのところに行ってみたら「この人に手術は無理だ」と。やはり顔を見ないことには無理ですね。写真やデータだけ見て、これで何をするというのは絶対に決められないですよ。若いうちはどうしてもそうなりがちですが、経験を積むうちに、まず患者さんのところに行って、というふうになります。
がん治療をしている人の数値や写真だけを見て、良くなっていると思って患者さんの顔を見ると、ゲッソリして覇気がない。腫瘍が消えてもこの人は死ぬんじゃないかと思う治療が本当にいいかというと、違うと思うんですね。長生きを目標にされている方もいるし、元気にいい時間を大切にしたいという人もいます。
いろんな情報を患者さんに説明しないと選択ができません。ていねいな説明は必要だと思います。
下河邉 がんと一緒に生きていくという考えをもつと少しは楽しい人生になるんじゃないかな。
―緩和ケアのスタッフはみなさん優しそうです。
宗 足がむくんだ患者さんを車椅子に座らせて、2人がかりでマッサージしてあげるような方たちが集まってくれたので助かっています。みんな患者さんと接している時間が長いですし、緩和ケアだから、ずっと患者さんと話し込む時もあるのですが、それが苦にならず懸命に聞いてあげて、カンファレンスで、この人はこういうところで悩んでいるから気をつけてあげてくださいとか、いろんな情報を持ってきてくれます。
―心に残るドラマもあるでしょうね。
宗 このあいだ40代の女性の患者さんが院内で結婚式を挙げたんです。離婚していたのですが、病気がきっかけで子供たちが集まるようになり、元の旦那さんと再婚することになったんです。結婚式を挙げるまではすごく元気で、終わって一週間くらいで、笑顔で亡くなられました。そのようないい時間を作ってあげるには、私たちの側にも余裕がなければ難しいと思うんですよ。(聞き手=川本、写真=佐藤、平増)