久留米大学医学部産婦人科学講座 主任教授 嘉村 敏治
婦人科腫瘍学が専門。来年3月に久留米大学を定年退職するという。「大学教員の一番の仕事は教育」と言われたが、たしかに、優れた医師としての側面よりも熱心な教育者としての顔の方がまさっているように感じた。教授室に飾られた、英訳の「ヒポクラテスの誓い」の前で撮影。医学部バスケットボール部の部長も務めている。好きな言葉は「人間いたるところ青山あり」。
以前は九大産婦人科の准教授をしていて、1999年に久留米大学に赴任しました。初年度には2000年問題があり、大晦日は教授室に泊まりました。医療現場の一部を電子化していたので、どうなるか心配でした。
久留米大の産婦人科は、昭和3年に九州医学専門学校附属病院として、久留米大学病院の前身が設立して以来の歴史があり、僕が6代目の教授です。
久留米大学の新病棟の設計段階で、診療科の配置をどうするかという議論がありました。私が赴任する少し前にできた総合診療棟の4階に手術場があり、新病棟の4階と渡り廊下でつなぐことになっていました。新病棟の病室は5階以上の階にあることになっていたので5階が一番手術場に近い病棟になるわけです。当初は手術例数が一番多い診療科が5階に入る案が作られていました。そこで手術例数が最も多い眼科が5階に入ることになっていました。しかし眼科の手術は殆どが予定手術であり、病棟から緊急手術で手術場に搬入する症例が一番多いのは何といっても緊急帝王切開がある産科です。そこで5階は産婦人科にしてもらうように少し強引に提案し、皆さんの承認を得ることができました。
今5階はレディースフロアと呼び、女性専用の階です。女性専用ですから乳癌の患者さんなども入っていますが、原則として西側が産科、東側を婦人科の病棟にして、その真ん中に両方から入れる医師室を作っています。マンパワーの少ない科だから、それぞれの専門はあってもお互いを補えるようにしました。
6階はチルドレンズフロアです。小児科が入り、東側には普通の小児科が、産科の上が新生児の病棟です。5階の分娩室で産まれた赤ちゃんの状態が悪いとか、早産で赤ちゃんが小さいとかいう時はすぐ新生児室に運ばねばなりませんから、5階と6階だけを結ぶ専用エレベータも設置してもらいました。不妊症や生殖補助医療を作るセクションも含め、総合周産期母子医療センターは5階と6階にまとめています。
日本産科婦人科学会の常務理事を10年ほどやり、社会保険担当だった時は、手術手技や検査について調査を行ない、新しいものに保険点数を付けてもらったり、安い保険点数を上げてもらう交渉をしていました。倫理担当になった時は、代理出産や出生前診断などの生殖医療における学会の見解をいくつか作りました。
日本産科婦人科学会は2009年の61回学会で、学術集会の開催都市が京都と横浜の2都市に決まりました。現在は札幌、仙台、東京、神戸、福岡が加わり7都市に拡大しています。その第61回学術集会を担当したのが私どもでした。京都で開催しましたが、久留米らしさを出そうと、私が久留米で一番おいしいと思っている大砲ラーメンに京都国際会館に出店してもらいました。
この出店交渉は久留米大学産婦人科OBが大砲ラーメンの社長の知り合いで、その先生を通じて頼んでもらいました。そしたらいくつかある支店のトップの職人さんを派遣していただいたようです。おかげで大好評、小さめの椀で1杯300円でしたが行列ができて、3日間で900杯を売り上げたそうです。全国から産婦人科医が5千人集まる学会で、久留米ラーメンここにありという感じでした。
僕は久留米に来て週3日はラーメンを食べていました。そうしたら立派に脂肪肝になりました。以前からラーメンが好きで、九大時代もよく後輩を連れて食べに行っていたんですが、久留米に来たらこっちの方が口に合いました。焼き鳥も好きで、近所においしい店をみつけました。久留米は焼き鳥でも有名ですね。九大から久留米に赴任してすぐに大学病院から歩いて30分のところに家を建てました。産婦人科は緊急事態が起こることがあるので近くに住む必要があると思ったからです。
ソウル国立大学にKang教授という仲のいい先生がいるのですが、5年前に私と2人でアジア婦人科腫瘍学会を作りました。現在台湾、香港、中国を含めて11カ国が参加する学会で、学会の公用語は英語としています。医者以外にもいえることですが英語を話せる人材の育成は大事です。私は6年前までの4年間大学の教務委員長として医学教育に携わりました。その時海外に学生の目を向けさせるためにも医学教育の中での英語教育が重要であると考えていました。
またその頃、医学教育の中で漢方医学もその素養を身につけさせる必要があると考え、カリキュラムに導入しました。最初は教員探しに苦労しましたが、現在は増えてきました。それと相まって久留米大学に先進漢方外来が設置され、その実績を認めてくれたツムラ株式会社が寄附講座を開設してくれました。現在は専任の教授も選任され今後の発展が期待されます。
昨年度に産婦人科医になった医師は全国で490名しかいません。80大学で割ると約5名です。その前年は560名だったので70名も減っています。そこで日本産科婦人科学会は独自にリクルート活動をしています。学術集会には学生や初期臨床研修医のセッションを作り、夏には長野でサマースクール、春は京都でスプリングフォーラムを行ない、ライフサイクルを守る産婦人科医療の重要性ややりがいなどを学生や若手医師に理解してもらうように努めています。
新しい医師の70%は女性です。女性には出産、育児という大切な仕事があるために結婚後は医療からある期間離れざるをえません。そこで重要なのは出産育児からの職場復帰支援です。そのためにはもう一度新しい知識を習得するための講義とフレキシブルな勤務体制が彼女らをつなぎ止め、将来のキャリアーアップにつながっていくものと思っています。
いずれにしても現在の高い医療水準を維持していくためのマンパワー確保が、今後の産婦人科における課題だと考えます。