医療法人 徳洲会 徳之島徳洲会病院総長・鹿児島徳洲会病院院長 飯田信也
鹿児島中央駅から市電に乗った。
高見馬場で乗り換え、荒田八幡で降りた。
荒田八幡宮のずっと後ろに、とても高くて巨大な山があった。
そばを通りかかった人に山の名を聞くと、桜島だという。
びっくりした。相手も私の驚いた顔にびっくりしただろう。噴煙は上げておらず、青空を背に、白い大きな雲がかかっていた。
こんなに大きな山を毎日見て、鹿児島の人は何を思うか、飯田院長にたずねてみようと思った。
なんといっても、桜島である。
富士山と桜島
飯田院長の出身は宮城県塩釡市だそうである。
ここに来て25年くらい経つから、人生の半分くらいは桜島を見て暮らしている。「今日は静かだけど、よく噴火するんですよ」と院長は言う。
実家は神奈川県の茅ヶ崎市とのこと。そこでは富士山を見ていたから、今も毎日富士山を見ているようだという。
「その富士山も近々噴火するんじゃないかという話ですよ。桜島も大隅半島とつながった大正初期の大噴火がまたそろそろ、という雰囲気で、その規模の噴火や地震がいつ起こってもいいように、TMAT(徳洲会のDMAT)はずっと警戒態勢を取っています」と話す。
そのTMATの基地は千葉にあり、東北大震災に限らず外国の大災害に対してもすぐに出動するそうだ。「何か起こるとその日のうちに行っちゃう。初動でやることは決まっているんだけど、いち早く現場に駆けつけたがる医師がうちにもいる。血が湧くんでしょうね」。
戦略マップ
そもそも徳洲会は救急を24時間断らないことから出発した。だが今の施設周辺には大きな病院がいくつもあり、よそで断られて受け入れる件数は年間で100件ほどだという。
飯田院長は私を別の部屋に連れて行き、天井から床まで垂れた一枚の大きな地図を見せた。
「この施設ができて30年経ち、駐車場も狭いし大部屋だし、スタッフの活動する場所も狭いので、大きな病院のほとんどない地域に移りたいんですよ」。そう言って地図の一点を示した。「でもその地域で開業している先生たちが大反対しているんです」。住民の要望に答える前に、そういったことの調整が難しそうだった。
情報は徳之島にある
ずっと鹿児島にいて、関東に帰りたくないかとたずねると、こちらにもおいしい食べ物があるし、情報の時間差は、全国どこにいても変わら
今の病院を鹿児島のど真ん中に建てたのは、ここを中心に離島医療を進めたいためで、徳洲会の成り立ちから、鹿児島よりも徳之島の方に人や情報の行き来は多いと言う。それで飯田院長は週に1回徳之島に行き、鹿児島で得られない情報を入手することもあるそうだ。
徳之島は徳田虎雄理事長のふるさと。徳洲会発祥の地は大阪府松原市。聖地が2つあるんですと、飯田院長は笑った。
頭を下げて分かること
「住民に頭を下げる立場にならなければ病院のことは分からない」との風土が徳洲会にはある。候補者になった途端に、病院に対する住民の本心や意見が大量に集まり、それが地域医療を考えるうえで貴重な財産になるそうだ。
徳之島の院長が県議選に出て当選したため、国立癌センター中央病院にいた飯田医師が院長を交代、そのあと鹿児島の院長が福岡徳洲会病院の総長になったため、飯田院長が引き継いだ。
医師を目指す若者へ
昔と違って、医師になる道は広がっていると院長は言った。今は個性が活かされる時代で、地域枠というシステムも設けられ、多様性を受け入れる体制が出来つつあるという。
「医療で人を助けたいと思っている人は、ぜひ医師や看護師、技師を目指してほしい。生死に関わる立場であるがゆえに、仕事そのものが感謝される。どんどん参加してほしい」と話を結んだ。
徳洲会の匂い
インタビューを終えて院長と世間話をしながら病院の正面玄関まで出た。そこに1人の中年女性が、職員に付き添われて現われ、院長に何度も頭を下げた。
聞くとはなしに聞いていると、この女性は鹿児島徳洲会病院に勤務している研修医の母親で、院長にお礼を言うために東京からやってきたという。息子がこの母親に、「ここで本気でがんばる。絶対みんなについていく」と話し、並々ならぬ決意を感じたのだという。
それを聞いて飯田院長は、「息子さんはいい医者になるだろうと現場で言われています。ちゃっちゃっちゃと一人前にしましょうね」と母親を安心させ、彼女が頭を下げる回数と同じだけ自分も下げていた。そして一枚の名刺を渡し、ここに私の携帯電話番号がありますからいつでも連絡してくださいと言った。
母親が去って、院長と私は、医療とは直接関係のない、しかし人として生きていく上で大切なことや、飯田院長の趣味であるスキューバダイビングやビヤガーデンなどについてあれこれ話しながら、荒田八幡駅まで歩いた。
駅から病院に帰って行く飯田院長の後ろ姿を見ながら、その成り立ちからいろんなことを言われているかもしれないが、ほんの少し徳洲会病院の、現場の匂いを嗅いだような気がした。(川本)