社会医療法人 謙仁会 山元記念病院 院長 山元 博
―謙仁会の理念に強い決意を感じます。
外科病院として55年前(1958)に父が開業した時からの理念です。今は地域密着型の病院ですが、少しも古びておらず、時代に影響されない、非常に普遍的な理念としてとらえています。この理念をなくしたら、当院の背骨はないものだというふうに考えています。
いろんな体の不調で来ている患者さんは、病気がそんなことをさせているわけですから、それを支えるのが医療人の務めです。それを全うするために理想を掲げてやっているんです。
―あれだけ強い意思を込めたきっかけが50年前にあったのでしょうか?
父は鹿児島から単身で九大にきて、こちらの出張病院に2年いた間に、助けてくれる人もおらず、1つでも不信感を与えるようなことがあればここにはいられないという、凄まじい決意と危機感の中で仕事をしていたと私は思っています。
―鹿児島気質というのはあるんですか。
海軍の学校で鍛えられ、ユーモアもあった人なんですけど、それにプラスして、ここで理想の病院を作ろうという強い気持ちが育ったのだと思います。
―時代の変化に理念をどう活かして行くのでしょう。
高齢化という条件の中で、私たちは地域の人たちにとって大事な存在だと認識し、強く打ち出せるものは打ち出して、皆さんに周知していただこうと考えています。
元々外科病院だったのでその強みを活かし、物忘れ外来なども打ち出し、私が専門の循環器としては、心不全の終末期についてのサポートをもっと強くしていきたい。
在宅についても、老老介護でなかなか看られないことがあり、それも支えていこうと思っています。うちには在宅施設がありますので、そちらと連携をとりながら、介護する人たちの教育にも力を入れています。
救急医療については、ご老人の急病が増えていますので、宅老所などと連携して、早く帰せるような体制でやっています。現代は地域や老人医療まで考えておかないとうまく回らないだろうと考えているんです。とにかく限られた条件の下で、理念にある「ベストを尽くせ」でやっています。
―若い職員の原動力はどこから出るんでしょう。
やはり優しさみたいなものだろうと思うんです。患者さんだけじゃなくて、それを支える家族の方にも。それがなければこんな仕事は難しいでしょうね。現実にはうまくいっても不満が出たりすることもありますから、そのあたりは耐えなきゃならないし、いいことばっかりではないけど、基本的には人のためとか優しさとかそういうものが力になってるんじゃないかと思います。
―我々は聖職者だと、最後にある一言ですよね。
今の人たちの考え方とは違ってると思うけれども、やはり教育していくしかないと思います。現実はつらいことも多く、きれいごとばっかり言っているわけではありませんが、やはり根本に地域の人たちを自分たちで守るという気概があってみんな頑張ってくれていると思っています。
当院には顔見知りや隣の人のような、地域につながりのある人たちが多く来られるので、地域を助けるようなことをやっているといつも思っています。伊万里は私の郷土でもあるし、自分が働く姿を見せないと職員もついてこないという気で、ここで一番働いているつもりではいますけど、私も60なんですよ、還暦を迎えたばかりで、若い人ほど働けるわけはないんですけどね(笑)。
謙仁会理念
■患者さんは常に正しい
患者さんは身体の病、心の病、悩みと痛みがあるため病院や施設に救いを求めて来られている。不安で一杯である。それ故に医者や看護婦(士)の一寸した言葉、一寸した動作、笑顔のあるまなざし、その他患者のための熱心な医療への探究心などの有るや無しやを大変気にし、一喜一憂しておられる。深夜の廊下の灯を一睡も出来ずに見つめて、心の悩み・将来のこと・職場のこと・家族のこと等を思い続けている患者さんも居るであろう。又、痛みのため自暴自棄になって、大声をあげる人もあるであろう。又、痴呆のために呼び出しベルを押し続ける人もあろう。そんな人を当院の職員は決して怒ってはならない。又、迷惑がってもならないのである。それでも、患者さんは尊厳のある正しい人であって。病そのものが患者さんを苦しめているのだと解釈して欲しい。
■頭を下げよ
患者さんの尊厳に対し頭を下げることであって、おじいさん、おばあさんと弱者呼ばわりしてはならない。はっきりお名前を呼ぶことである。又、患者さんには勿論、心配して来た家族や患者への慰問の人にも頭を下げ声をかけてあげることも良いことだ。
■ベストを尽くせ
己の持てるだけの力と温かい心と智慧を一杯出し切って奉仕せよということである。以上が山元外科病院の家訓であって、要するに患者さんの事を第一で考え、自分のことは後から第二番目に考えることである。修業僧みたいなことだと思うかも知れないが、私はそうやって来た。具合の悪い人の病床には足繁く夜中でも何回でも訪問して来た。それでも己の智慧の足りなかった事に幾晩ももがき眠れぬこともあった。常に自分の心は患者の家族と共にあった。
さて、名医と言われる人が居た。それは握手して廻り、患者さんと話を交わすだけで特に才たけた人ではなかったという。又、最近読んだ本には、名医に共通したことは、患者さんにさわる、話をよく聞いてやる、そして患者さんを誉めるという三点であった。この話は単に医者だけではなく看護婦も又、介護人さんにも同じく心掛けることだと思う。よく説明してくれる医者が良い医者だという人もあるがインフォームド・コンセントと今は英語になっているが古来から日本にその美風はあった。これらの家風は新入社員のみならず外来の事務員も検査、薬局、リハビリ、X線室、給食室、訪問看護、支援センター、ホームヘルパーすべての医業にたずさわる者も新めて心掛けるべきことだと思っている。私共は聖職者であり、普通の労働者とは違うのだと誇りを持とう。
故初代理事長 山元七次