国立病院機構 小倉医療センター 院長 岡嶋 泰一郎
病院の正面に天疫神社がある。須佐之男命(すさのおのみこと=鎮疫神)のほかにも医薬神が奉られている。元和8年、現在の小倉南区日の出町に奉られたものを、明治13年、今の場所に遷座したと案内板にある。
現小倉医療センターは明治8年、小倉城三の丸に営所病院として開設され、明治21年に小倉衛戍(えいじゅ=陸軍の意)病院に名称変更、同32年に現在地に移転したが、天疫神社とのルーツは分からないと岡嶋泰一郎院長は言う。森鴎外が軍医部長としてたびたび視察に訪れた病院として有名で、昭和12年に小倉陸軍病院に改称、同20年に国立小倉病院となった。
―森鴎外ゆかりの病院として知られています。
そうですね。それにあやかって、当院に併設してある地域医療研修センターの名称が「鴎=かもめ」です。
―鴎のホールで医師が演奏会をやると聞きました。
患者さん向けに年に4回、春夏秋冬に行なっています。私も毎回、声楽で出演します。
―地域住民に国立病院の信頼度は高いでしょうね。
国立病院に対する期待は大きいでしょうね。実際に診療内容としての保証はされていると思いますが、一昔前は敷居の高い病院という印象があって、それを払拭するために、特に小児と産科救急に力を入れています。そこは地域の方々の安心感になっているでしょう。平成21年から周産期専用のドクターカーを購入し、京筑地区や田川など、遠方の病院に医師や看護師を送って緊急の治療に当たっています。これはよろこばれていますね。
―ドイツ留学中の話をお聞かせください。
日本という社会から切り離された経験は大きく、学問はもちろんですが、人間的・文化的な面により興味を感じました。向こうにすぐ溶け込みましたが、3年後に帰国した時のカルチャーショックの方がかえって大きかったです。
―医師になってよかったと思う点は。
別府の出身ですが、祖父の代から開業医をやっていましてね、私で三代目ですが、てらいなく人に親切にできるところがいいですね。どうしようもないところまで来た患者さんに、どう親切にしてあげられるか、次への希望をどう持ってもらうか、それも医師の大切な仕事だと思います。その余韻みたいなものが看者さんとのあいだにできた瞬間がとてもうれしいですね。
―そのような医者を目指すためには?
できる親切は徹底的にやりなさい、ということでしょうね。それが一番の条件のような気がしています。親切な人とそうでない人は、たとえば役場の窓口に行ってもまったく違いますよね、仕事は同じなのに。相手を安心させながら自分の職業が果たせる、これが医師のプロフェッショナリズムだろうと思います。患者さんは弱い立場ですから、感性が敏感になっていると思います。だから、プロならそこまでやってほしいと強調したい。
―七夕コンサートで歌われるそうですね。
子供の時からピアノをやっていて、九大に入ってから教養部でドイツ歌曲研究会を作りました。当院に来てからも、声楽の先生について勉強を続け、コンクールにも出ました。ほかの病院のホスピスや教会で歌うこともあります。音楽の持つ力はとても大きくて、院内コンサートでも、始まる前と終わった時では、患者さんの顔つきがまったく違いますね。ものすごく輝いている人もいます。あとでお礼を言われると、音楽をやっていてよかったなと思いますね。