鹿児島大学病院 副病院長 泌尿器科教授 中川昌之
鹿児島大学病院を訪れるのは2回目。前回は熊本一朗院長だった(579 号に掲載)。実力派のユニークな医師がいるとの印象が、記者にはある。中川副院長はどんな人だろうと思いながら、病院前のゆるやかな坂をのぼっていった。(記事と写真=川本)
「旅客機のパイロットになるつもりでした」。
大分県の日田出身です。家業は酒の卸販売で、私は子供のころから飛行機が好きでパイロットになろうと思っていまして、高校は大分の上野丘高校なんですけども、3年生の夏休みに、宮崎にある航空大学の1次試験を受けました。パイロットと言いましても自衛隊ではなくて、定期航空路のJALとかANAとかのエアラインですね。
1次試験のペーパーテストは通ったんですけど、東京の慈恵医大で行なわれた身体検査で、初めて受けた心電図で、スポーツ心臓なんかにたまにある不整脈が見つかって、それでダメでした。
パイロットの道が絶たれ、高校の友達が長崎大学の医学部を受験するために1年浪人するというので、彼と一緒に長崎の相部屋で暮らしながら、予備校に通いました。
その時も医者になろうとは思っていなかったんですが、友達の家に遊びに行ったらお母さんから、あなたも医者になったらいいと言われて、それで、だんだんそんな気持ちになって医学部を受けたということなんですね。長崎じゃなくて熊本に行ったんですけど。
私は野球が好きですから、熊本大学の野球部に入って6年間やり、4年の時から全医体で3年連続全国制覇しました。守備は捕手で、時々リリーフピッチャーもやりました。今でも院内対抗野球というのがありまして、毎年夏に20チームぐらい参加しますが、私も出ていますね。
熊大病院で2年研修したあと、出身地の大分に大分医科大学が新設されたんです。そこの泌尿器科に、熊大の助教授が教授として行ったものですから、私も来いと言われたんです。それで大分に16年いました。
1が5つ並ぶ平成11年1月11日に、泌尿器科の教授として鹿児島大学に来まして、以来ずっとこちらにおります。
専門は泌尿器の腫瘍で、主な癌は前立腺癌、腎癌、膀胱癌、精巣腫瘍です。
大学ですから、手術が地方では出来ないような人だとか、いろんな合併症を持った人、糖尿病がひどい、心臓が悪い、呼吸機能が悪い、このままでは全身麻酔が出来ないとかの患者さんが来ますので、そういう人の手術をしたり、手術で治らないような人は放射線使ったり化学療法したり、そういうことをしてますね。
癌はもっと早く治るだろうと言われていましたが、実際はすごく複雑です。ただ、いろんな治療法が出てきまして、例えば前立腺癌の5年生存率はアメリカで100%になったんですね。日本が今は85%ぐらいですけど、もうすぐ日本もそういう状況になると思います。
早期発見する手段が進み、治療も手術だけじゃなく、放射線治療もできるし抗癌剤も良くなってきました。またお薬も、腎癌なんかだと分子標的治療薬というものまで出ていますので、今2人に1人は癌で亡くなると言われていますが、その比率がだんだん下がっていくんじゃないかなと思っています。
高齢者になれば自分の抵抗力、免疫力が落ちていきますから、それでどこかで癌が発生してしまうと思うんですが、それも早く見つければ、いろんな方法で治せますし、共存という方法もありますから、癌で亡くなる方は減っていくと思います。
(ここで中川副院長は、記者に分かりやすく、前立腺癌の治療を説明した=右写真)
このような小線源療法を今まで350人ほどやりまして、345人は完治して、5名の数値が思わしくない。ですから99%の方はうまくいってますし、5人の方も存命中です。
この療法を日本でやっているのは100施設ぐらいですかね。でも300例以上やってるところはそんなにないと思います。
人間は誰でも死ぬわけですよね。いい死に方というのはなかなか難しいですけど、まわりの人に迷惑をかけない死に方がいいと思うんですけどね。
本人が一番しっかりしてまして、奥さんには自分が癌であることを言わないでくれと言われる方がいて、そういう方って立派ですね。すごく覚悟が出来てるっていいますか、動じないですし、痛みにも強いですしね。もちろん今は薬をいろいろ使って痛みをとるようになってますけど、それでも薬がきれる時とかありますよね、だけどそういう時の身の処し方っていいますか、そういうのが一貫してますよね。
かと思えば、寿命があと3か月くらいの人で、すごくメンタルに弱い方には告知しない方がいいんじゃないかっていう場合もありまして、ご家族とお話をして、本人に言わないでくださいとかいう場合もあるんです。
だからご本人に癌ですよとは言うんですが、一緒に頑張って治しましょうねと、期待を持ってもらう。でも家族の方には、全部お話しますよね。
パイロットになれなかったのは残念ですけど、私はラッキーな人生です。家族にも恵まれましたし、念願だったアメリカ留学も出来ましたし。子供のころから行きたいと思ってましたからね。
医学で人を助けたいと思って医学部を目指した人間じゃないですけど、患者さんに対しては一生懸命誠意を見せてきたと思うんですよね。だから、自分はいつ死んでもラッキーな人生だったと言えるんじゃないかなと思ってます。両親がどちらも癌の家系なもんで、親父が膀胱癌になったのが55だったんですね、健在ですけど。私が泌尿器科に行った理由の1つがそれなんですけどね。それでうまく治療してもらって今87ですね。母親も40いくつで癌になりましたんで、私は55ぐらいまでには癌になるだろうと思ってました。今57、来月で58になります。
現在の医学でも治しきれない病気がたくさんありますよね。治せない患者さんがいっぱいいますので、やりがいのある、興味の尽きない仕事だと思います。若い人には大いに頑張ってくださいと言いたいですね。よく学生に言うんですよ、キーワードは再生医療と宇宙医学ですよと。僕らの子供の世代、あるいは孫の世代は、宇宙に人が行くようになると思うんですよ。医学の興味も尽きないと思います。
もしも今、飛行機を操縦できるなら、やっぱりA380ですかね。世界でいちばん大きな2階建ての飛行機。ずんぐりしたエアバスですね。フランスとドイツとスペインの合作です。記者さんはステルス戦闘機と答えるのを期待したかもしれないですけど、僕は軍事関係はそこまで好きじゃないんですよね。