臨床心理士の想い13 【坂梨圭】

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こころを彫る

 4月下旬、北海道の美唄にある「アルテピアッツァ公園」に行った。美唄出身の国際的な彫刻家、安田侃氏の「心を彫る授業」を受けるためだ。桜前線と出会えるかと思っていたが、ふきのとうが雪をかぶっていた。

 心を彫る授業とは、自分が選んだ大理石を、のみや石細工道具で彫っていくことで、侃氏曰く、「大理石を彫っていくと無心になる。それが、あなたの心です」。
無心になっても心は石として形に残る。そこで、「人にはそれぞれの心があります。決して比較や非難をしないことです」との言葉を聞いたあと、ミケランジェロも使ったという大理石の塊を選ぶところから授業は始まったのである。

 私は自分の心のイメージに近い石を選んだ。しかし大理石を目の前にして、すぐにはのみが持てなかった。周囲には石を彫る甲高い音が響き渡っている。私は石をずっと眺めてみた。そしてやさしく触ってみた。そうすればするほど、自分の心を投影した石に見えてきて、ますます石が彫れない。自分の心を彫ることになる感じがしてならなかった。臨床心理士だからなのか、自分のパーソナリティなのか、よくわからないが、心を彫ることに恐怖を覚えた。

 しばらくして、石に傷がたくさんあることに気づいた。そこから、のみを持ち、石の傷をなめらかにすることから始めることにした。斜めに入った2本の傷を、のみで削るがなかなか消えない。消えたと思ったら、今度は石全体のバランスが気になる。バランスを整えるために石を削る。その中でまた傷が見つかり、だんだん、夢中になっていく自分を感じた。

 私たちはクライアントの心の傷を少しでもやわらげることを生業としている。だから主訴(こまっていること)に焦点化して、話を聴いていくことが多い。しかし、それで傷が治ったとしても、心のバランスを崩していることもあるのではないか、という想いに気づかされた。傷も心の一部なんだと思えたとき、心のバランスがとれることもあるのではないか。大理石を彫りながら、そんな想いが駆けめぐっていた。

 2日間石を削り続け、磨き続けた。でも完成しなかった。「こころ―未完成」と名付けて持ち帰ることにした。心を彫る授業は、自分のこころと向き合う大切な時間だった。現代社会の中では感じられない、空間と心の瞬きがアルテピアッツァ美唄にはあった。アルテピアッツァ美唄、一度は訪ねてほしい、心癒される空間である。

―アルテピアッツァ美唄 http://www.artepiazza.jp/


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