日本赤十字社 長崎原爆諫早病院 院長 古河 隆二
JR諫早駅から長崎方向に2駅目の喜々津駅。
構内の跨線橋に上がって、大村湾とは逆の方向に手をかざすと、民家の屋根瓦のずっと向こうに長崎原爆諫早病院の赤い十字が見える。大方の見当をつけ、2度ほど道を聞いて、ようやくたどり着いた。ツツジの盛りで、敷地の外周と庭園が、550mと200mのウォーキングコースになっていた。インタビューには、今年、県から出向してきた山崎直樹事務部長が同席した。
古河 この坂はお年寄りには少々きついでしょうね。ツツジが満開だったでしょう。四季折々の花がきれいなんですよ。
平成17年に開院して、今年で9年目ですが、もとは長崎県立成人病センター多良見病院で、日本赤十字社へ経営が移譲されたという経緯があります。原爆病院という名称は、国が被爆者の認定範囲を広げたことに伴うものです。
ここは昭和28年に社会保険喜々津病院として開設されたんです。そのあと昭和39年に県立多良見療養所として150床の結核病棟になり、昭和57年に県立多良見病院と名称変更されました。だから、ご覧の通り非常に静かで、まさに療養所ですね。ウグイスの鳴き声がしょっちゅう聞こえますよ。
古河 長崎大学と連携して若い医師を派遣してもらっている状況で、今のところ常勤は確保できています。問題点は主要な医師が高齢化していることです。多良見病院が移譲される時に残ってくれた人が多かった。診ている患者さんから離れたくなかったようです。
当院の存在価値は、やはり地域の高齢化に伴う高齢者医療に尽きると思います。人間ドックと内科単独、結核病床も規模を縮小して運営していますが、入院患者の6割が呼吸器感染症で、同じ人の入退院が多くなっています。
古河 看取りは多いです。ここで年間100人くらい亡くなられています。最近は在宅医療が勧められていますが、諫早地区では、在宅の看取りを行なっている病院は少ないようです。当院は急性期病院ですが、返すところがなければ看取ることになります。後方連携が見つからなければ、帰りなさいとは言えない。それにこの地域は老々介護の方が多く、家で看られないんですよ。
当院は急性期病院と療養型病院のちょうど真ん中にありますから、健保諫早総合病院や大村の医療センターから移って来た患者さんが治療を続けるか、緩和ケアに入って次の病院を探すか、それが難しければ看取ることになります。だから緩和ケア専任の看護師をもっと育てなければいけないし、医師も看取りを勉強する必要があります。
古河 地域ニーズがどこにあるか、ということなんでしょうね。急性期病院としては、先ほどの健保諫早総合病院が300床ちょっとあり、ほとんどの科がありますから、基幹病院として市民病院的な役割を果たしています。そこと連携して、内科部門の救急患者は2つの病院で診ています。高齢者はこれからも増えていきますから、緩和ケアも含めた方向に向かうのではないかと思っています。
長崎の原爆病院にいた時は300床以上あって、救 急車もどんどん来ていましたが、ここは内科だけですから、1日に数台ですね。
古河 医者になったのは、父が医者だったのがきっかけの1つでしょうね。佐賀の大町というところに炭鉱病院があったんです。杵島炭鉱がありましたからね。父がそこの病院長で、閉山になったあと町立病院の院長を勤めました。 亡くなるまで。そこで父を見ていて、医者も悪くないかなと思いました。ひげを生やして眼鏡をかけた昔の医者でした。それと手に職をつけたかった。サラリーマンは務まらないと思ったことも大きいです。それはやりたくなかった。(そばで山崎事務部長が苦笑い)。だから弁護士とか建築士とか医師とか、そんな道を歩きたかった。
医者は多少の手先の器用さも必要かも知れません。訓練であるレベルまでは達しますが、注射一つにしても上手下手はあるし、手術や内視鏡にもそれがありますからね。
古河 今の私を見て父親はどう言いますかねえ。肝硬変で亡くなったのですが、私が肝臓の道を選んだのを知れば、多少は褒めてくれるんじゃないですかね。今とは時代が全然違うし、医療の質もまったく違って劇的に変化していますから、ここで親父ならどうするだろうというようなことはありませんが、尊敬できる存在でした。
古河 医師を目指す人には、相手への思いやりを忘れないようにと伝えたいです。患者さんはマテリアル(材料)ではなく人間です。相手を人としてみることに尽きます。昔から言われているように、目の前の患者さんを自分の家族だと思って見ていけば、きっと良い医療を提供できると思います。
日赤長崎原爆諫早病院=長崎県諫早市多良見町化屋986番地2
平成17年4月1日開設。病床数140床(一般104床、亜急性期病床8床、結核20床、人間ドック8床)。
赤十字病院としての活動=常備救護班を2班編成し、東日本大震災では4次にわたり、医師、看護師、薬剤師、主事など、述べ21人を派遣した。国際救援活動として、ジンバブエにコレラ救援で、ハイチ大地震の際も医療救援で、看護師を1名派遣している。
診療科目=内科、呼吸器科、消化器科、循環器科、リハビリテーション科、放射線科。指定医療機関=健康保険法による保険医療機関、老人保健法(老人医療)保健医療機関、労災保険指定医療機関、原爆被爆者援護法(原爆医療法)指定医療機関、結核指定医療機関、特定疾患治療研究事業受託医療機関、生活保護法(医療扶助)指定医療機関、障害者自立支援法( 育成医療・更生医療) における心臓脈管外科に関する医療、肝炎治療に係る医療費助成に係る診断書作成指定医療機関、二次救急医療輪番制病院。
学会等認定施設=日本内科学会認定教育関連病院、日本呼吸器学会認定施設、日本呼吸器内視鏡学会認定施設、日本睡眠学会睡眠医療認定医療機関、日本感染症学会認定研修施設、日本肝臓学会関連施設、日本消化器病学会認定施設、日本消化器内視鏡学会指導施設、日本高血圧学会専門医認定施設、マンモグラフィ検診施設画像認定施設、臨床研修協力施設、( 財)日本医療機能評価機構の病院機能評価Ver.5.0 一般。