産業医科大学副学長・病院長 泌尿器科学教授 松本 哲朗
【Profile】
昭和50年熊本大学医学部を卒業し、福岡大学病院研修医。
昭和51年九州大学医学部附属病院研修医、同52年九州大学大学院医学研究科博士課程入学 、同56年九州大学医学部助手、平成1年九州大学医学部附属病院講師。
平成9年産業医科大学医学部泌尿器科学教授。以降、 進路指導部長、産業医科大学病院副院長を兼任し、平成23年から産業医科大学副学長・病院長。現在に至る
―今、医療全般について思われることは。
大多数の患者の方は、治療を受けると感謝の気持ちを持っていただくことが多いようです。ただし一部では、医者は余っているとか、儲けているという風評が流された時代がありました。懸命に治療しても、思った成果が上がらなければ悪者にされました。「患者のたらい回し」も、実際には受け入れたくてもできなかったのが現実でした。
実際は、国民皆保険というすばらしい制度を崩壊させないために医師や看護師、医療従事者たちが自己犠牲で頑張ってきたとも言えます。その姿がようやくマスコミで取り上げられるようになりましたが、それまで国民に理解されていませんでした。
また、患者に「様」をつけるとの通達があり、医療がサービス業と思われて現場でトラブルが発生する原因になりそうです。患者様でもお医者様でもなく、目線を同じにしなければ信頼関係が損なわれて、治療の妨げになります。
―そんな状況で病院長を続けるのは大変でしょう。
いえ、楽しんでいますね。この大学、この病院に貢献することを考えて、きわめて有意義な時間を過ごしています。若い医師には「自分より年上には先にあいさつしなさい」と指導し、カンファレンスで1分間スピーチもしてもらいます。自己表現ができなければ、いくらいい腕があっても患者さんに伝わりませんからね。これは効果がありますよ。
―医療従事者に共通する大切なものは何ですか。
ヒューマニティでしょうね。豊かな人間性が必要です。人のことを思いやれない人が医者になっては困ります。 オレがオレがでは医者にならないほうがいい。そして、好きであることですね。好きじゃないと伸びません。そこを自分でしっかり考えてほしいですね。医師をはじめとする医療従事者との信頼関係のもとで診療が行なわれるわけですから。
―どうして医者になろうと思われたんですか。
父親が公務員で苦労して、その悲哀からか、小さいころから「手に職をつけろ」と言われていました。組織にしばられる必要はないからと。それで弁護士になろうとしたんですが、高2の時の成績で、国語と英語がよくなかった。それで、自分は理系に向いているのかもしれないと思って医者の道を選んだのです。それから今まで苦労したことはないですね(笑)。
『院長マニフェスト』を掲げ、それを実行していくんですよ。
―病院長に必要不可欠な条件があるとすれば。
足りないことを追求する姿勢とリーダーシップでしょうか。そのためにビジョンや方向性を明確にして職員に理解してもらいます。大切なのは情報公開で、物事が決まって行く段階ですべて職員に知らせています。さらに19項目の「病院長マニフェスト」を作り、3年間でこれをやると示しています。1年と3分の2を過ぎましたが、だいたい出来ています。
ほかには文部科学省に採択された「医療連携アドバイザー養成プログラム」を運用しています。院内連携を図り、チーム医療を実践するため、全職種でプロジェクトチームをいくつか作り、問題点を洗い出しています。発表会も頻繁に行なわれて職員間の交流もずいぶん活発になりました。プロジェクトの合言葉は、「働き続けたい病院No.1」を目指すことです。
―ストレス解消は何を?
お酒を飲むことですかね。今は日本酒を飲んでいるけど、酒なら何でもいいんですよ(笑)。
―私はワイン党です(笑)。
だったらどうしてワインの話からインタビューを始めなかったの。実はワインが大好きなんだよ。ベルギーに留学して味を覚えた(笑)。
―ベルギーならビールがおいしいでしょう(笑)。
うまかったねえ(爆笑)。