「職員が同じ方向を向けば必ず前に進む。皆の気持ちを一つにするのが私の仕事」
貝塚病院 庄司哲也理事長
「今日の夕方から忘年会があるんですが、職員の笑顔が実は毎年プレッシャーなんですよ。この顔が来年も見られるだろうかと。でも去年よりは楽です」
九州大学から外科医として派遣されていた7年前、昭和63年開設の貝塚病院は大きな負債を抱えて経営危機に瀕し、廃院になるとの風評が流れた。15人いた医師は5人に減り、200床のうち90床しか使われていなかった。それ以前から評判は芳しくなく、近隣の開業医との関係もうまくいっていなかった。
銀行から処分をうながされたころ、すでに庄司哲也医師(当時)が再建に走り回っていた。福岡が故郷の彼には、患者に背を向けるわけにいかず、他の職員の行く末も無視できなかった。
【Profile】
1971 年 福岡市生まれ。福岡海星女子学院附属小学校、長崎青雲中学・高等学校に進み、1996 年 愛知医科大学を卒業し九州大学第二外科へ入局。関連病院勤務を経て2006 年4 月より貝塚病院理事長就任。
―苦労されましたね。
私が矢面に立つしかないと覚悟して、やれることは全部やろうと思って、営業から買い出しから全部やって、もう夢中でした。35歳の時でしたが、スタッフの心を見ている時間なんてなくて、とにかくこの病院を支えなくてはという感じでした。
どんな病院にしようかではなく、立て直すことしかビジョンが描けないんです。明日のお金をどうしようとか。それが1年半くらい続きましたが、その間のことはよく覚えていないんですよ(笑)。温かく年を越そうとみんなで餅を搗いて、その餅を持って帰る個数が年々増えていきました。
―みんながついてきた秘訣はあるんですか。
スタッフが辞めずにがんばってくれたのはありがたかったです。でも内心は口うるさい理事長だと思っていたでしょうね。
いい人だけが残って、その人たちが動き始めたら、あとから入ってきた人はその影響を受けるし、そうでない人は去っていく、その7年間だったような気がします。
―貝塚病院の職員は庶民的という評判を聞きます。
それはうれしいですね。当院は地域と長い付き合いをしていかなければならないので、マニュアル化すると患者さんや家族と目線がいっしょになりませんからね。でもうちにいるような看護師は、マニュアライズドされていく今の世の中では減っていくでしょうね。
―今の状況はどうですか。
関西にあるヘルスケアパートナーズが再建の後ろ盾になってくれたことや、川口信三院長※が就任したことで、地域に開かれた病院の姿を取り戻しつつあります。
※久留米大学第一内科、同救命救急センター、聖マリア病院呼吸器内科医長、貝塚病院内科、副院長を経て平成24年10月院長就任。
―地域連携の重要性が高まっていますが。
かつては患者を囲い込む経営をしていたようですが、今は地域連携室がとてもがんばってくれて、地域クリニックの先生との病診連携検討会や健康フェスタを開催しました。海の中道リレーマラソンにも3チームが初参加し、園児を招いてクリスマス会も開いています=右写真。念願の病院広報誌も1号が出ました。近隣医療機関との関係も少しずつ改善され、一度は離れた患者さんも戻ってくるようになりました。ようやく「近所に貝塚病院があるじゃないか」と思ってもらえるようになったんです。
そんな努力が認められたのか、先輩医師の推薦で5年前に東区医師会の理事を務めました。
―やっと職員の福利厚生に手が付けられますね。
検査機器を揃えるのを優先して、昭和時代の机を買い替えてほしいと言われています(笑)。今年は飛躍の年になるはずですから、「ピカピカの新しい病院を建てよう」とスタッフと語る年にしたいですね。