リウマチ膠原病で私が学んだこと

  • はてなブックマークに追加
  • Google Bookmarks に追加
  • Yahoo!ブックマークに登録
  • del.icio.us に登録
  • ライブドアクリップに追加
  • RSS
  • この記事についてTwitterでつぶやく

佐世保中央病院 植木幸孝院長

植木幸孝(うえきゆきたか=昭和31年生まれ)
1981年...長崎大学医学部を卒業し第1内科学教室入局
1982年...長崎大学附属病院第1内科医員
1989年...佐世保中央病院勤務
1993年...同院内科診療部長、2002年同院リウマチ・膠原病センター長、2004年同院副院長を経て、2005年佐世保中央病院院長。現在に至る。

■日本内科学会総合内科専門医、日本内科学会認定医、日本リウマチ学会指導医、認定医、日本リウマチ財団登録医、日本アフェレシス学会指導医、日本透析医学会指導医、認定医、総合内科専門医会評議員、日本リウマチ学会評議員、日本アフェレシス学会評議員。

病院の前に異なる運営のバス停が2つあった。それだけで重要性がうかがい知れる。病院の名は佐世保中央病院。長崎県内に七つしかない、地域医療支援病院の1つだ。ロビーに入ると、何やら困っている老人男性が目に入った。すぐに女性事務員が駆け寄り、問題が解決してしまう。その奥でも、ほかの事務員がカウンターから出て、患者に対応していた。事務員が親切な病院という印象を持った。

36.jpg

植木院長(左)と藤田武徳事務長。

―街の中心部から離れてはいますが、随分と交通の便が良いですね。

元々は佐世保の中心部にあったのですが老朽化をいたしまして、そこに建てるには少し狭すぎたので、平成7年にこの場所に移ってきました。今は急性期病床302、亜急性期病床が10床あります。34の診療科を有する病院なんですが、心臓血管外科開設は長崎県北部で最初なんですよ。

佐世保市には他に3つの大きな病院があるのですが、どちらも市の中心部にあり、市の東側には病院がなかったわけです。地主さんたちや近隣にお住まいの方々も大きな病院に来て欲しいということで、今の場所に作ったわけですが、それからこのまわりはどんどん開拓されていきました。

この先の白岳という地区はあまり人の流れのない地区だったんですけど、今ではたくさんの商業施設ができています。僕は個人的に「白岳大戦争」と呼んでいますが、急速に発展する地域になりましたね。町の発展の上で、ここに病院を建てたことは寄与していると思います。西九州道が伸びてきたことを考えましても、ここに建てることを決断した先代理事長の富永先生には先見の目があったと思いますね。

白十字会はほかにも、リハビリテーションの病院や特別養護老人ホーム、老人保健施設など、色々なスタイルの医療施設を運営し、スタッフ間の交流があります。なので、老人や障害者の方に親しまれている病院ですね。

―専門は何ですか?

僕は内科の中でも少し特殊な、リウマチ膠原病です。聴診器を肩にかけているのは、循環器を診る医者のスタイルで、何となく癖がついています。病院長はしていますが、ちゃんと患者さんは受け持っているので、いつでも行けるよう常にかけていますよ(笑)。

若い人には「現場実践至上主義の職人医者たれ」と説いているんです。それぞれの環境にある現場の医師として、何が出来るかを考え、判断する医師でなければならないと考えています。そして、現場で患者さんに信頼される医師でなければならないと考えています。医療技術も必要ですが、患者さんを安心させたり、巧く説明することが現場では求められますから。そう考えるのは、僕自身が現場を重視するタイプの医師だからでしょうね。

―医者を志されたきっかけを教えてください。

僕は西有家町(現南島原市)の出身なんですが、僕が育ったころは在宅で看取るような時代でした。父が小学5年の時に亡くなりまして、その時に医者不足を感じました。父は41ぐらいでした。今も医師不足は言われますが、当時はもっと深刻な事態だったようです。それを見て、父のような人々を少しでも助けたいと思い医師になろうと考えました。家族や親族に医療関係者はいませんでしたが、小学生の頃にそう思うくらい、父の死を通して見えたことは強烈でした。

―その後、長崎大学へと進まれたわけですね。

大学を出て内科医になりました。この病院にくるようになったのは、大学からの派遣がきっかけです。俗に言うところの「お礼奉公」ですね(笑)。

リウマチ膠原病と糖尿病は同じグループだったんですが、糖尿病のチーフの先生が内科の助教授で、その先生がこの病院の院長として赴任されたので、その先生を手伝うために呼ばれた感じです。とはいえそのころは研修医明けの3、4年目ですから修行期間ですね(笑)。その時感じたのは、この病院が本当に患者さん中心の病院だということでした。当時大きな病院がホスピタリティにここまで気を配るのはまだ珍しいことで、この病院で将来的にも働きたいと思いましたね。

―もし先生が入院されるなら、どんな医師に診てほしいですか。

実は僕は入院したことがないんですよ。4年ぐらい前に骨折したことはあるんですが、入院はしませんでした。担当医が、ギブスを巻いておけばOKだと言うので、ちゃんと休ませてもらえなかった(笑)。今年で55歳なんですけどね。

なので、入院した気持ちになって考えてみますと、僕がリウマチ膠原病なら、どうしても熱が出たり消耗したり、つらい状態になるので、優しく声をかけてくれる先生の病院に入院したいですね。

精密検査が前面に出るような疾患とは違いますので、「どうですか」とか「困っていることはありませんか」と、そういう感じで接してくれるほうがうれしいです。そうすると、我慢せずに痛いと言いやすいです。

痛くて立てない、あるいは座れないという病気ですが、医者が立っていると患者さんは我慢して立とうとします。だから無理をさせないために必ず座るか中腰になって、患者さんの目の高さで話すようにしています。僕が患者の時も、医者にはそうしてほしいですね。して下さいとは言えないですけど、きっと心細いでしょうから、そうしてくれるとうれしいです。薬に関する不安を話したり、診察も頼みやすいでしょうし。ちょっとしたことですけどね。

―痛がっている人をたくさん診たからこその視点ですね。

僕らとしては、患者さんに動いてほしくないという気持ちがあります。休んでいるのにわざわざ起きていただくのは申し訳ない。本当は痛いはずなのに、医師の前では無理して起きようとされる方もいます。だから僕らはなるべくすぐに座るようにして、楽な姿勢でいてもらえるよう心がけています。

僕が医師になったころは、脳外科ですとか心臓血管外科ですとか、そういう分野が花形でした。なのでリウマチ膠原病と言うと「えっ?」という顔をされることもありました。免疫がおかしくなる病気ですから、医師にも分かりにくかったんですよね。

でも内科医としての僕を育てたのはこの病気だと思います。と言うのもリウマチ膠原病は次々と違う症状が出てくる病気で、ある時は肺炎になって息苦しくなったり、ある時は肝臓が悪くなって肝機能が低下したりだとか、ある時は熱がどんどん出てしまったり、心臓の動悸が早まったりと、全身疾患なんです。だから全身を診れる医者になる。お薬に関しても、相互作用も含めて詳しくなれる。

聖路加国際病院の日野原重明理事長の話によく出てくる人物に、内科学を体系化したイギリスのウイリアム・オスラーという医学者がいるのですが、この人は開業医たちに対し「内科医として立派にやっていきたいならリウマチ膠原病を勉強しろ」と言ったそうです。ある特定の病気の人ばかりが来ていたら、専門家にはなれるけれども、ほかにうとくなってしまいます。意図していたわけではありませんが、総合医を育てるのにリウマチ膠原病は適した病気だと、やってみて僕も分かりました。

近年は総合病院であっても、全人的に診る総合診療の重要性が高まっています。若い人に対しても、押し付けない程度にリウマチ膠原病の研究を薦めています。


九州医事新報社ではライター(編集職)を募集しています

九州初の地下鉄駅直結タワー|Brillia Tower西新 来場予約受付中

九州医事新報社ブログ

読者アンケートにご協力ください

バングラデシュに看護学校を建てるプロジェクト

人体にも環境にも優しい天然素材で作られた枕で快適な眠りを。100%天然素材のラテックス枕NEMCA

暮らし継がれる家|三井ホーム

一般社団法人メディワーククリエイト

日本赤十字社

全国骨髄バンク推進連絡協議会

今月の1冊

編集担当者が毎月オススメの書籍を紹介していくコーナーです。

【今月の1冊, 今月の一冊】
イメージ:今月の1冊 - 88. AI vs. 教科書が読めない 子どもたち

Twitter


ページ上部へ戻る