飛耳長目 TQCの限界

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個々に研究課題を

ずいぶん前のことになるが、従業員300人くら いの工場で生産管理をしていた。その会社には小集団活動として、TQCがあった。

当時を振り返ると、従業員に経営意識を持たせるのにTQCは役立った。というより、経営参画意識の有る無しは個性としてあらかじめ決まっているから、TQCはそれを顕在化したと言うほうが適切だ。だれが経営に協調的か、すねているかがよく分かった。

TQCでは最初にリーダーを決めるが、活動の結果はリーダーのレベルを超えられなかった。なぜなら、リーダーの指示や誘導で、「最初から成果が見込めると分かっているもの」から逆算して目標を決めたからである。

もちろんTQCの地方大会や全国大会では、本当に皆が困っている未解決な問題を解決した内容がいくつも発表された。しかしそこまで行なうには高度な分析技術が必要で、リーダーの思い付きと「TQCの7つ道具」だけでどうにかなる代物ではない。だから年に2回行なわれる社内発表会では、大抵の場合、お祭り騒ぎの域を出なかった。それでも現業者が壇上で発表する姿はほほ笑ましく、そのほほ笑ましさや、発表会のあとの飲み会が、まったく不要だとまでは言えなかった。戦後の日本はそうやって、品質やサービスで世界の先頭に立ってきた。

TQCで個々人の資質や能力が高まることはなかった。なぜなら「みんなが共有できるテーマで、理解が可能な解決手順」という手かせ足かせがあり、なおかつ「解決までの道筋をリーダーがあらかじめ思い浮かべられるもの」だからである。

もしもメンバーに有能な人がいて、その日のうちに解決してしまっても、それを社内発表会合わせて引き延ばし、あたかも皆で試行錯誤したかのように発表するのが常だった。その発表風景を当の構成メンバーが、なんとなく腑に落ちない気持ちで聞いている、といった光景は数多くあった。

このような状況を数学者の岡潔は、著書「春宵十話」の中で、「ボスを作るだけ」と言い切る。とてもうまい指摘だ。

しかしTQCは現場のコミュニケーションを促進しやすい面もあるので、福利厚生としてとらえ、これに「個人の課題を研究させること」を併せればいい。いわゆる「1人1研究」の類いである。

個人研究だからテーマは仕事に関係なくてよく、むしろその方が仕事を改善するアイデアにつながることは多い。特に平均以上の学力のある人たちはそちらを優先すべきだ。昔から、それのあった人だけが変革者になった。TQCはその足元にも及ばない。

個人が研究テーマを持つと、年を重ねるごとに、見るもの聞くものすべてが解決のヒントとして目に飛び込んでくるだろう。まるで自分が高性能の受信装置にでもなったかのように。(川本)


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