佐賀大学副学長・理事・医学部附属病院長 宮﨑耕治
PROFILE
1949 年 佐賀市生まれ。医学博士
1974 年 九州大学医学部を卒業し
1976 年まで同医学部附属病院第
一外科麻酔科研修医
1981 年 同医学部第一外科助手
1991 年 佐賀医科大学外科学講師
1995 年 同教授
2006 年 佐賀大学医学部附属病院
副病院長/医療安全対策室長・M
Eセンター長
2008 年 同病院長兼任
2009 年 佐賀大学理事・副学長・
医学部附属病院長兼任
2010 年より専任
―院内に大きな絵が何枚も飾ってありますね―
病院は患者さんが気分転換できる空間が非常に少ないと感じていましたが、たまたま知人の画家から作品を寄贈していただいたことがきっかけで、次々と集まりました。なかでも友人の塚本猪一郎画伯は、ピカソやミロが使ったパリのムルロー工房に夏の間こもって制作したリトグラフの大作7点を全部寄贈してくれて、留学時代のスペインの病院の話をしてくれました。
スペインの病院では、入院するとカートに絵をたくさん載せて運び、その中から好きな絵を選んで病室に飾ることができるそうです。私がその話に感動すると、自分の版画でよければと言って、さらに35点ほどいただきました。今、主に重症個室に架けています。そんな話から、ある画廊の方の仲介で、たとえば日展評議員の工藤和男画伯や、三塩清巳画伯などの日展作品などを次々に寄贈いただき、各階の廊下にも展示しています。
病室には花もままならない制限がありますので、せめて絵でも鑑賞できる環境を整えたいと思っています。
スウェーデンでは病院建設費用の一割を文化にかけるという決まりがあるそうで、カロリンスカ病院などは寝たきりの小児のために、天井を青空にして開放感を与える工夫とか、子供が喜びそうなモニュメントを廊下に配置するなどがなされています。海外のみならず、新しい病院では、患者さんの不安を静めるため、カラーコーディネーターといっしょに天井や壁、手術室などの色を決めています。当院も再整備の際には、ぜひ反映させたいと思っています。
―病院の壁にはいろんな可能性がありそうです―
絵は多くの人にプラスに働き、心を癒します。今までの病院がそういうことには気を使ってこなかった。
平面に映像を投影するデジタルサイネージという技術があり、壁で熱帯魚が泳ぐとか診療情報を流すとか、心の安らぐ風景を見せるなどの試みが始まっています。やがて病院の壁は、絵に限定されず、安らぎや情報を得られるバーチャルな空間になっていくと思います。
総合医を育てる理由
佐賀医科大学は当時の第2次田中角栄内閣の「一県一医大構想」の一環として旧佐賀医科大学(1976年に佐賀大と統合)ができ、九大の古川哲二教授が初代学長になられて今のキャンパスを作られました。
古川先生はミニ帝国大学を建てるような発想ではなく、佐賀県に必要な良い医者を輩出しようとされた人です。国立で最初に総合診療部を作り、「一患者一カルテ方式」は電子カルテにすぐ移行できるもとになりました。ほかにもさまざまな試みがされ、先見の明としてすばらしいものがありました。
いま厚生省も文科省も、総合医の育成を強調していますが、なかなかそうならないのは、大学は特定機能病院として専門医育成に懸命になるところだからです。高度医療や救急医療をやる役目があるから高い機械を持ち、人も多く人件費も高い。その中で総合医が一般的な患者を診るだけではコスト高で赤字になります。
でもなぜ古川先生が総合医を育てたかというと、大きな病院が少ない佐賀で、自治体病院が専門医を何人も揃えることは無理で、そこの病院長から、糖尿病でも高血圧でも何でも、総合内科的に診られる医師が欲しいと大学に依頼されても、専門医を育てていなければ要望に応えられません。
高齢化社会とも相まって、多疾患の患者が増えており、長年にわたって病院で働いてくれる総合医を作る必要があります。
―それが佐賀市立富士大和温泉病院内に開設した、地域診療総合センターと結びついたわけですか―
佐賀大学から総合内科部門の若手医師を常勤させて、一般内科的疾患を診療する最適な環境を作りながら、教授や講師クラスの医師も指導医として定期的に訪問させ、回診やディスカッションも行ないつつ、総合医研修の場としての機能も整えました。ここで3年くらい学び、そのあと中核病院で不得意な分野を1年くらい勉強すれば、総合医として充分な力がつくはずです。
複数の疾患のある患者を大学病院に入院させると、管理会計上赤字になりますが、富士大和病院のセンターの総合診療部が診れば、出来高制のため赤字になりません。同じ患者を医療レベルを落とさず、佐賀大が診るか富士大和が診るかによって、どちらも赤字を出すことなく医療が守られます。適合する自治体にこの話を説明して、賛同する自治体を公募する形で佐賀市立富士大和病院を選びました。
一方、小児科医の不足でブラックボックス化していた深夜の小児救急体制を、大学の3人の小児科医がほぼボランティアとして1年対応してきたことを知り、地域医療再生プロジェクトの支援を受ける形で、この小児救急医育成事業も開始しました。
―佐賀県ならでは、とも言えそうです―
総人口85万人の佐賀県は大学を中心に車で60分で全県域に行けるという利点がありますから、佐賀県全体を見渡せて、必要な医療を構想しやすいんです。佐賀大学病院は国立大学法人病院の中では、経営はトップクラスです。これは佐賀で医療崩壊を起こさないようにみんなが頑張ってくれるからですが、おかげでダビンチver3 など高度医療機器も整備できています。
―あさって別の記者がサガハイマットの理事長を取材するんですよ―
十時理事長は佐賀大学病院の前院長で、重粒子線のことを話し合ってきた先輩ですから、まったく逆らえません(笑)。九州全体で活用していただきたいと願っています。