宮崎県立宮崎病院 豊田清一 病院局医監兼院長
昨年90周年を迎えた宮崎県立宮崎病院。大正10年から診療を開始し、爾来、宮崎県の中核病院として県民医療を支えてきた。「人間なら卒寿ですよ」と豊田清一院長。7つの基本姿勢に基づき、先人が築いてきた伝統のたすきを引き継ぎながら、公的病院の役割をどう果たしているのかを聞いた。
■当病院の特徴について
地域の住民といっしょに作る病院という感覚を大切にしつつ、自治体立公立病院として、政策・先進・高度医療を提供する使命を果たしています。
宮崎県の中核病院としての具体的機能は次の3つです。
第1は、がん医療を中心とする高度医療を提供し、地域がん診療拠点病院であること。第2は、三次救急を中心とした救命救急医療の提供をすること。第3が、基幹型の臨床研修指定病院であり、さらにクリニカルクラークシップ、看護学生の教育指導なども行なっていることです。そのほかHIV治療中核拠点病院、臓器移植提供病院、災害拠点病院の役割も担っています。
■「風林火山」の対応を
外科医の場合は特に、持久力と判断力が求められます。臨機応変に、ある場面ではすぱっと決断しなければなりません。
病院経営にも同じことが言えます。風林火山の如く、ある時にはスピーディーな決断を、またある時は動かないことが必要です。たとえば、診療報酬改定があれば、迅速な対応と先読みが求められます。冷静に分析し、
これと思うときは行動し、判断したら可及的速やかな対応が必要です
平成16年に就任して、2年間は構想を練り、経営の効率化、再編、経営形態の見直し、様々なことの先取りをおこない、平成18年から黒字経営が続いています。さいわい宮崎市は中核都市で、全県レベルで患者が来ます。病棟の再編をして、どこに医療資源をつぎ込むのか、医師や看護師の配置転換、手術台数やICUのベッド数を増やしながら、平成20年の診療報酬改定の前に対応できたことがターニングポイントでした。
■経営参画意識を高め
一連の取り組みが可能だったのは職員の経営参画意識の醸成のおかげです。就任した時から院長講話をスタートし、当院の理念や基本姿勢である医療にかかる安全管理、病院の健全な運営、経営の安定的基盤の確立、地域との連携の推進、情報の共有化、コンプライアンス、挨拶の励行の7項目を強調してきました。耳ダコができるくらい同じことを言い続け、聴いた人が「次はあれをしゃべるぞ、ほら、やっぱり言った」と思えれば、それだけその人の頭の中に入っているのですから。
医療を取り巻く環境の変化で、自治体病院をはじめとする医療機関には、運営上の課題が積算しています。さらに、今回の社会保障と税の一体改革による消費税アップで、控除対象外消費税への対応を早いうちに行なう必要があります。TPP加盟問題も控えており、国民皆保険制度の堅持のためにも真摯に考えねばなりません。
■県内初の腎移植
宮崎では腎移植が行なわれておらず、地元で腎移植のできる医師を求めており、当時の本松研一院長から、地元に帰って腎移植をやってくれないかと誘われました。全職員に新しいことに取り組む意欲があったので、みんなで勉強して、3年目に県内初の腎移植をおこなうことができました。翌年には内科が県内初の骨髄移植に成功しました。
医師になってから印象に残っているのは、初めての手術でメスを持った時と、この病院で腎移植が成功したことです。本当は工学部に行きたかったのですが、高3の時の父の病気をきっかけに、急きょ方向転換しました。
外科を選んだのは野球をしていて体力に自信があったからで、今でも年に数回は試合をしています。先日も代打で出て2打数0安打、塁間が百㍍ぐらいに感じましたよ。あとはテニスとゴルフ。スポーツなら徹夜のあとでもできます。じっとしているのが苦手です(笑)。
病院経営のキーワードはチーム医療なので、スポーツの経験が活きてきます。良い意味での先輩後輩、礼儀作法がきちっと身に付いています。
■連携と恊働で未来を
未来の病院のためには、職種間を越えた連携と協働と共に、「宝探し」をしなければなりません。人の中に宝が埋もれているのです。宝を見つけて育て、将来の病院を担う人を作る必要があります。自分が良いものをもっていることに気づかない人もいますから、周囲がそれを見つけることが大切です。これからも全職員の連携と協働で「元気で勢いがあり底力のある病院」を目指して取り組んでいきます。
- 1971年 九州大学医学部卒業
- 1974年 九州大学医学部第一外科入局
- 1986年 宮崎県立宮崎病院外科医長
- 2004年 宮崎県立宮崎病院院長
・宮崎県国保診療報酬審査委員会会長
・全国自治体病院協議会副会長