10年ぶりの長崎は台風の影響で小雨模様だった。長崎駅前に8番のバスが停まったので、大学病院を経由することを運転手に確認して乗り込んだ。バスはあわただしく発車した。坂道の多い街である。バスはよく揺れた。10分くらい走ったころ、運転手が体をねじって「次ですよ」と大声で私に告げた。気にかけてくれていたのだ。バスを降りる時にお礼を言うと、「お気をつけて」と太い声が背中に聞こえた。インタビューはいつも緊張する。それは取材される川上教授も同じだろう。坂を歩いて病院に到着し、秘書を介して教授の部屋に通されると、気さくな笑顔が飛び込んできた。(川本)
情報共有の背景
―52歳という年齢は、昔と今の医療の違いがよくわかるのでは。
川上 最近の医療というのは一方的ではないですね。治療はこれしかないです、みたいな感じではなくなってきています。
医学が非常に進歩して、一つの病気に対して治療の仕方はいっぱいあるわけです。他方で価値観も多様化して、医学に絶対はないですから、医師や看護師や薬剤師、あるいはクラークや、お金については事務もいっしょにチームを組んで、こんな治療法がありますがどうされますかと、すべてのことをシェア(共有)すれば、患者さんも責任を持って選択します。それが本当だと思いますね。昔との大きな違いは、今の方がはるかに患者さんとのコミュニケーションが取られているということでしょう。
―価値観の多様化していない昔の方が、医師はやりやすかったのではないのですか。
川上 今のほうが正しいと思いますね。
私の専門はリウマチ・膠原病内科で、特に関節リウマチは診断と治療がものすごい勢いで進んでいる分野です。10年前とはまったく違っていて、逆に言えば昔のような治療が成り立たないんです。そのなかで患者さんをより良い状態にするための治療の理念というものが言われ始め、4つの基本な考え方を満足するために10項目があり、それに基づいて治療をするのですが、基本的な考え方の1つに「関節リウマチの治療は、患者と医師の合意に基づいて行われるべきだ」というものがあります。まさにその通りだと思いますね。
医療がこれだけ細分化して選択肢が増えたら、それだけ患者さんにも理解してもらわないと、治療を受けてがんばる気持ちが長続きしないと思うんですよ。継続は力なりですから、治療を継続してもらうには充分納得してもらってから開始する必要があると思います。
納得と希望
―納得することは大切でしょうね。
川上 ええ、いちばん大切だと思いますね。昔より時間をかけても、急がば回れですよ。
―何日か前の取材で、ある患者会の代表が「希望がなければ闘病できない」と言われました。納得がなければ希望も生まれにくいでしょうね。
川上 それはそうです。目標ですね。リウマチの分野では治療目標が明確で、あなたはそんなにすすんでいないから、普通の体に戻れるようにしましょう、あなたは関節が変形しているので、日常生活はあまり不便のないようになりましょう、というように目標を決め、そのために選択肢を提供して、患者さんと決める。そうすれば長続きします。
医者になってみて
―なぜ医師になったんですか。
川上 うちの身内に医者はいないんですよ。父は教師で、作家の川上宗薫(故人)は叔父です。医者になろうと決めたのは、祖父や祖母が病気になった時ですかね。理系に行っていたから、医者も悪くはないなと。でもあまり深くは思わなかったですよ。
それと、医者というのは結構かっこよかったんです。 みんなそう思ってなったと思いますよ(笑)。もし医者の態度が悪かったら、こんな職業なんてくだらんと思ったでしょうが、そんな医者は少ないでしょうね。
―でも実際はどろどろしている世界だったというようなことは?。
川上 いえ、それはないですね。相手は病気で困っている人なので、人間関係はほかの職場よりも形成しやすいんじゃないでしょうか。
―たえず医師の能力を高めておくには、どうあるべきなのですか。
川上 勉強を続けるのは義務ですね。あとは、正直でなければいけないんじゃないかな。できるだけ飾らずに、誠実にいかないといけない。それがいちばん長く続けられる秘訣かな。それをたえず心にとめて、そこからズレそうになったら、それはいかんよと、正直に、誠実に、姿勢としてはそれでしょうね。
―その姿勢を邪魔する因子、罠があるとすれば、それは何でしょうね。
川上 欲です。自分を向上させる欲ではなくて、それ以上に不要な世俗の欲や、身の丈に合わない望みは、できるだけ抑えた方がいい。誠実に、自然体で生きようと思えば、今の自分に必要かどうかは自然に分別できると思います。
―医学生に教える際に、これだけは言っておこうというようなことはあるんですか。
川上 それはあまりないなあ(笑)。そこまではぼくは言わないですね。
長崎大学のこと
―長崎大学は放射線障害の研究で世界的に有名だそうですね。
川上 私が長崎大医学部に入った時には原爆後障害医療研究施設という立派な研究施設があり、チェルノブイリ原発事故の時も、甲状腺の研究をされていた長瀧重信教授(当時)を中心にして何度も現地に行かれましたし、福島原発の放射能漏れ関しても、山下俊一教授が長崎大を休職されて福島県立医科大学の副学長に就任されています。今までの歴史的な背景、研究的な背景があったからだろうと思います。
取材を終えて病院を出て、道を掃き掃除していた中年の女性にバス停を教えてもらい、そちらに向かって歩いていると、さっきの女性が追いかけてきて、もう少し先に行けば路面電車の乗り場もあるし、バスの本数も多いと教えてくれた。
行きと帰りのわずかなあいだに地元の人のちょとした親切に出会うと、それだけでその街が好きになる。そしてそのあいだだけでも私はいい旅人になる。
- 川上純(かわかみあつし)
- ■長崎大学大学院・医歯薬学総合研究科医療科学専
攻・展開医療科学講座(第一内科)主任教授
■専門分野:リウマチ・膠原病学
■趣味:ガーデニング
1985- 長崎大学医学部を卒業し同医学部附属病院第一内科研修医
1986- 日赤長崎原爆病院内科研修医
1987- 長崎大学大学院医学研究科(第一内科)入学
1991- 長崎大学大学院医学研究科入学(第一内科)
卒業、医学博士 1991- 米国ハーバード大学ダナ・ファーバー癌研究所留学
1994- 長崎大学医学部第一内科研究生
2000- 長崎大学医学部第一内科助手
2003- 長崎大学医学部第一内科講師
2009- 長崎大
学医学部第一内科准教授
2010 から現職。