鹿児島大学附属病院 病院長 熊本一朗
鹿児島大学附属病院 病院長 熊本一朗
1953 年 長崎県佐世保市生まれ。
1980 年 鹿児島大学医学部卒。鹿児島大
学医学部第三内科(井形昭弘教授)に
入局、神経内科専門医。
1984 年よりオーダリングシステムによ
る鹿児島大学病院情報システムTHINK
の開発に参画。
1993 年 病院医療情報部教授。
1996 年 医学部医療情報管理学教授。
2001 年 副病院長、学長補佐。
2011 年 病院長、副学長。現在に至る。
■厚生労働省中医協・診療報酬調査専門組織委員
今も院長室に飾ってあるNECのTK80。メモリーはカセットテープを使い、タイニーベーシックで動かした。
「この歳になると夕日が気になりますね。九十九島の夕日が海に沈む瞬間、ジュッという音が聞こえるんですよ、私には」。そう笑う。とにかく明るい人である。
「でも朝は、桜島から昇る太陽が最高。だからそれが見える場所に住んでいます」。インタビューの最中に九州人らしい情緒が何度も顔をのぞかせた。
1953年長崎県佐世保市生まれ。交友関係は広く、軍事評論家の小川和久氏もその1人。作家の村上龍氏は2年上の先輩で、3年上にはHIV治療薬の研究で世界的に著名な熊本大学の満屋裕明教授がいる。
「佐世保に米国の原子力空母が入港して大きな騒ぎになった。それを少年の目で見ながら、実は時代の少し先を見ていたのかもしれない」と少年期を顧みる。
そして高校生のころに野村総研や三菱総研が設立され、各地の大学にも「情報工学科」が生まれたことで「情報が経済的価値を持つ」と強い興味を持ったという。
「鹿児島大学医学部4年生の時にコンピュータのキットが売り出されたので、すぐに買って組み立てました。半田ごてを握ったのはそれが最初で最後」
そして研修医の時に、シャープのMZ80で作った脳卒中診断のプログラムが、井形昭弘教授(当時=スモンの原因がキノホルと見極めた内科学者)の目にとまり、井形病院長の時代に、大学病院にコンピュータを導入する担当者に抜擢されることになる。まだ紙のカルテにドイツ語で書いている時代のことである。
「2、3年もすればまた脳卒中の臨床に戻れるだろうと思って引き受けたのですが、今年で29年目。もう四半世紀を過ぎました」
大学病院を電子化していく中で「グーテンベルグの活版印刷の発明の時代に匹敵する大変革の時代だ」と感じた。しかしほかの医師からは、ペンで書けばいいものを、なぜレスポンスが遅いコンピュータに入力しなければならないのか、事務員の肩代わりではないか、と抵抗もあった。
その後、厚生労働省の中医協でDPC(診断群分類)の評価分科会や、医療技術評価分科会で役職を務めるようになる。
医療の世界をデジタル化するのはエンドレスだと熊本院長は言う。情報の伝達方法として紙の代わりに使われるようになり、薬剤部や検査部は大きく変わった。そして今は電子カルテである。
―医療に限らず、何から何までデジタル化されることに不安はないですか。
「人類はいろんな局面で大きな変革をしてきたわけです。火や鉄を見つけ、印刷で庶民が聖書を読めるようになりました。社会がデジタル化していくのも止めようのない流れだと思いますね。新しい世代はうまく乗り越えていくはずです」
―今のお医者さんはパソコンの数値だけで判断し、患者の方を見ないとの意見が世間に増えましたが。
「今は変革の過渡期ですから、そんな指摘もあるでしょうが、医師の側に全く問題はありません。たとえばカルテは、1か所にしかありませんでしたし、あいまいな数量や手書きの汚い文字の処方箋では薬剤師も読めない場合ありました。その点、活字は間違えようがなく、それで手間が省かれてほかのサービスができるようになったんです。医療現場のあちこちで、主要だった仕事が雑務になり、本来の専門職の仕事、たとえば薬剤師の服薬指導などができるようになりました。またコンピュータは情報を共有する道具として、数値を前回の検査と比較したりグラフ化して患者に分りやすく説明できます。そして今、私たちは電子カルテの次に、当院で開発し試行している『ITカルテ』の実験段階に入っています」
―それはどういうものですか。
「患者さんが自宅で見られるカルテです。簡易にしてありますが、地域連携で他院の医師も見られるように細かい配慮も可能です。患者と主治医だけでなく、距離や時間を超えて情報の共有を図るシステムで、いずれは『生涯カルテ』になることを見据えています」
―振り返れば万感の思いがあるでしょうね。
「最初の10年は、病院にコンピュータを半ば強制的に導入してきた時代でしたが、次の10年には、現場の医師がコンピュータを効率性の良い道具として使いこなせるようになり、手術室の医師からもバーコードを活用した情報システムの早期の導入を要望される時代になりました。その後も電子カルテや遠隔医療などのシステム化を達成し、また、手術室のコンピュータ化もさらに進み、手術ロボットのダヴィンチの導入を病院で検討する時代になりました」
―これから医学がうまく進むポイントは何ですか。
「際(きわ)がこれからもキーワードでしょうね。医学と工学の際というふうに。私は医学と情報の際でやってきました。際の向こうにあるものを見つけることが大切になる でしょう」