【飛耳長目】 最後の友人

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ほしいのは仲間と情報

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千代県庁口そばの貸会議室に80人が集まり、二ノ坂保喜医師の話を真剣に聞いていた

福岡県立大学看護学部の村田節子教授に会いに、同大学が主催するがん看護セミナーに顔を出した。土曜の午後、千代県庁口そばの貸会議室に80人が集まり、二ノ坂保喜医師の話を真剣に聞いていた=写真。大半が病院勤務の看護師で、村田教授は当日の司会を担当していた。

セミナー冒頭で二ノ坂医師が語った「最後の友人」という言葉が印象に残った。末期の男性からそう称されたことがあるという。

余命が幾ばくもない男性にすれば、もはや友人ができる状況にはない。命をたくす医師こそ最後の友人だった。その思いは察するに余りある。

セミナー前日の金曜日、二ノ坂医師はがんで亡くなった女性の葬儀で弔辞を読んだ。家族の依頼だった。女性は56歳。娘が一人おり、元気なころは看護師で、治療の最後に在宅ケアを希望したという。

医療者ではない私は、この話を別の耳で聞いた。果たして私は「最後の友人」に選ばれるような生き方をしてきただろうかと。目の前から去ることを望まれたら、まさしく最後の審判である。

高齢化社会が進む中で、医療者に限らず、だれもがその位置に立つ可能性は高い。しかしそこにすら行き着けず、のほほんと脳天気な生き方しかしない人が《あなたのため》と称してあれこれやることもあるだろう。

ほかの用件があってセミナーを途中退席したが、対談「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」(新潮文庫)でコミットメントに触れた箇所を思い出した。私の解釈では、日本人は個を消して、ある群(職業人や世間)の構成要素になることで、自分の意見のように耳障りのいい言葉を使う。

制服を脱いだ時、あるいは旅の地にある時、私たちは「最後の友人」に選ばれる態度、生き方であるだろうか。

(川本)


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