【短気】 短気な人を見ていると共通の傾向があることに気がつく。それは「見聞きしたことに素早くレッテルを貼って、それを固定化する」ということである。
目の前に初めての事象、初めての人、初めての言葉が現われた時、短気な人はそれをじっくり考えたり、いろんな角度から見ることをせず、レッテルを貼って理解したと思い込み、それを思考停止の根拠とする。
目の見えない人が象の体を触って、どんな生き物かを語るというたとえ話がある。
理解にまでたどり着いたわけではないのに、当人にすれば理解そのものとなっているのがレッテル貼りである。 それは思考の粘りに欠けた急場しのぎ、思考の遮断でしかないから、ほとんど的を外れている。だからレッテルとは違う事実が次々に出てくることになる。そのとき短気な人は、レッテル貼りの癖を思い直すことをせず、相手の説明不足や変節のように感じて憤る。その姿勢が周囲の目に「瞬時に的を外して決めつける人」として映ることに気がつかないのである。短気と決めつけには相関関係がある。
【愚痴】 人間研究の第一人者、はる研究院の大和信春氏によると、愚痴は「自分を目立たせる行為」だという。あたかも解決を望んでいるように見えるが、解決してしまうと愚痴の種がなくなって自分を目立たせられないので、解決が長引くように仕向け、あるいは次々に愚痴の種を探し、見つからなければ針小棒大にこねあげる。
「自分はここにいるぞ」との叫びが愚痴の本質だ。 私は若いころ「歩く愚痴屋」だった。短気も群を抜いていたし弁解も多かった。さいわい若いうちにそれに気づき、以降、「ほら出た短気、また言ってる愚痴」を胸に刻んだ。しばらくのあいだ、喉元にこみ上げてくる短気と愚痴を抑えるのに苦労したが、半年くらい経つとほとんど出なくなり、弁解もしなくなっていた。
(コバルト色の空)