情熱と野心を胸に大志を抱け

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九州大学理事・医学博士 髙栁涼一

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九州大学理事・医学博士 髙栁涼一

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「せっかくの取材だから九大病院の劇症肝炎治療についての話でもしましょうか」。髙栁涼一教授は開口一番そう言って、10ページほどのレポート「ステロイド動注療法を用いた劇症肝炎の新たな治療戦略」(福岡医学雑誌題101巻第6号別冊=平成22年6月25日)を開いた。著者は九大大学院医学研究院・病態制御内科学分野、古藤和浩・髙栁涼一とある。まずはその概説を教えていただくことからインタビューは始まった。

「肝臓の病気で一般の人が思い浮かぶのは、お酒を飲み過ぎて肝臓に障害が起こるとか、今はむしろ脂肪肝が問題になっていますが、じわっと慢性になっていって30~40年後に症状が現われる。あるいは急に黄だんが出るウィルス性肝炎のようなものを普通の皆さんはご存知だと思います」

「しかし我われ医者の間では、劇症肝炎という特殊な肝炎が昔から知られています。肝炎ですから原因はいろいろありますが、分かりやすく言うと、いわゆる炎症が激しく起こり、肝臓が膨れ上がったあと3日くらいで縮んで駄目になってしまう。解毒ができず、肝性脳症で昏睡になり、4、5日後に死んでしまう病気です」

「誰にもかかる可能性があり、一定の確立で起こります。原因不明で、100人の肝炎患者のうちだれが劇症肝炎になるか分かりません。内科的治療のみでは救命率は2割弱くらいでしょうか。今は生体肝移植のシステムができ上がっていますが、12時間とか18時間以内に親族の承諾を得て肝臓の提供を受けるのは大変なことです」

「九大病院はそんな患者を助ける拠点になっていて、九州全域あるいは西日本一帯から患者さんが運ばれてきます」

「劇症肝炎の本体は今でもよく分からないのですが、炎症の過剰反応だろうという類推はついていました。そこでステロイドを肝臓に大量投与する療法が何十年も前からやられて来ましたが、救命率は全然上がりません。結局『劇症肝炎になった人はアンラッキー』ということになっていたわけです。しょうがない、と」

「しかし彼(古藤和浩九大病院肝臓・膵臓・胆道内科講師)は、炎症の過剰反応だからステロイドは効くはずだ。ひょっとして肝臓まで届いていないのではと考え、劇症肝炎の動物モデルを作って、肝臓に直接行く肝動脈という本管に大量のステロイドを流し込んだところ、劇的に良くなったんです」

「それで放射線科や倫理委員会を通して、最初はおっかなびっくりで劇症肝炎患者を治療し始めたんです。そしたらびっくりしたことに、死の直前の人が翌日には目を覚まし、黄だんもさーっと引いて急速に良くなった。ステロイド動注療法で救命率が76㌫に上がったんです=図参照。結局、肝細胞に行く血管類が炎症で膨れ上がって狭くなり、循環障害を起こしていたと思われます」

「以上のような経緯があって九大病院では治療が確立されていますが、それ以外の病院でこの治療法を採用しているところはないんです。なぜかというと、劇症肝炎のエビデンス(効果を示す臨床結果)を取るためにはデータが必要です。それが一刻を争うから取りにくい。さらに劇症肝炎で運ばれてくる人は出血傾向にあり、ただでさえ血管造影が危ないのにステロイド動注療法をやると相当なリスクがある。大学病院以外では治療しにくいこともあるでしょう」

―たとえば私が突然なることもあるわけですね―

あります。でも発症して2日、あるいは3日以内に治療する必要がありますから、北海道の人は間に合わないかもしれません。ステロイドでサイトカインストーム(免疫システムの細胞から分泌される整理活性物質の嵐)を押さえ込むと、残った肝細胞が生き返ってくる。生き返る肝細胞が残っていなければだめなんです。みんな死んでいるのに押さえ込んでも遅い。だから時間との勝負になる。

―男女差や年齢差はあるのでしょうかー

男女の差はないですね。年齢は、お年寄りよりも働き盛りの若い人や中年が多い。免疫反応のいい人が起こりやすいようです。ところで昔はウィルス性肝炎が原因だったのですが、今は8割が原因不明です。なぜ起こっているか分からない。たぶん風邪薬ではないかとか、中国から取り寄せた漢方薬を飲んだからではないか、とかの意見はありますが、証拠はありません。原因が分からないんです。

―今の日本の生活様式で今後増加しそうですか―

おそらく発症率は変わらないんじゃないかな。昔からある病気ですし。ただ、助からない病気が助かるようになった。九州医事新報さんがせっかく来られたので、劇症肝炎はすぐに九大病院へと読者の皆さんにお伝えください(笑)。

―今日は最初に、なぜ医者になったかをお聞きするつもりでした(笑)―

実家は卸問屋で、弟たちはそこを継ぎました。私は科学者になりたいという気持ちが子供のころからあり、大学に行くならしっかりした技術を身につけたいとも思い、医者になろうと決めました。私は小倉出身で、医者は最後には地元で暮らすようになるという話を聞き、それで九大を選んだわけです。目標は「普通の立派な内科医になる」でした。そして研修2年目の、病棟に勤めていたころに、東大から来た教授から、大学院で生化学の勉強をし、老化の研究をするように言われたんです。なにそれ? という感じでしたが(笑)、医学部の教授の命令は絶対の時代でしたから、4年間基礎研究をしました。それで人生が変わってしまって、普通の医者というより医学研究者の方向に向けられてしまいました。それから病棟に帰って臨床しながら研究を続け、外国から戻って、自分は医者というよりも、若い人をどう教育するかについて時々考えます。

―医者の卵はどう育てられるんですか―

大学で医者を育てるというのは、患者さんを正しく診れて、立派な技術のある、誤診をしないお医者さんを教育するのも大事です。でもそれは8割で、残りの2割は、医学を進歩させるための後輩を育てなければならない。でもそんな医大生は最初からいるわけではない。立派な医者になることがモチベーションの大半です。その8割はもちろん立派な医者に育てます。でも2割は、医学を前に進めるような研究をする人間として必要です。それをいかにつくるかをいつも考えています。振り返って見ればそれが私の道でしょうね。私に課せられた使命だし、役割りなんでしょう。

―九大で学ぶ医学生への言葉があるとすれば―

結果的にどの道に進もうとも「少年よ大志を抱け」と言いたい。目先の小さな幸せだけを今のうちから目指してはいかんよと伝えたい。自分の使命を持ってほしい。うちの教授はみんなそんな気持ちを持っているし、そう言い続けているから九大としての役割りが果たせているかもしれません。

でも人を最後に引っ張るのは、情熱と野心です。政策で引っ張るとしても、最後は個人なんです。

―九州医事新報へのリクエストはありますか―

毎月手元に届いていますが、どんな人が作っているんだろうと思っていました。もう少しサイエンスがあればいいんじゃないでしょうか。普通の人が読んで分かりやすい、新しい医療情報のようなものです。といっても情報の信憑性や裏付けには注意が必要ですが。

聞き手(川)、写真(佐)

  • 九州大学 理事・副学長
  • 九州大学大学院医学研究院 病態制御内科学分野教授
  • 1975 九州大学医学部卒業、九大第三内科入局
  • 1977 九州大学大学院第二生化学入学
  • 1981 九州大学大学院医学研究科博士課程修了(医学博士)
  • 1982 九州大学医学部助手(第三内科)
  • 1983 米国バンダービルト大学生化学研究員
  • 1988 九州大学医学部助手(第三内科)
  • 1993 九州大学医学部付属病院専任講師(第三内科)
  • 2000 九州大学大学院医学研究院 老年医学教授
  • 2006 九州大学大学院医学研究院 病態制御内科学(第三内科)教授
  • 2007 九州大学大学院医学研究院長、医学部長兼任
  • 2008 九州大学副学長兼任
  • 2010九州大学大学院医学研究院長・医学部長辞職
  • 2011九州大学理事・副学長、病態制御内科学分野教授兼任、現在に至る。

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