失敗しても再挑戦できる人に、社会に

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九州大学大学院 精神病態医学分野教授 医学博士 神庭 重信

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1980年慶應義塾大学医学部卒。慶應義塾大学医学部講師、山梨大学大学院教授を経て現職。NHKクローズアップ現代などメディアにもたびたび出演。趣味はテニスとフランス語、最近は短歌に挑戦。

14年間連続して日本人の自殺が3万人を超えている。

文明が大きく進歩するなかで、置き去りにされがちな心の分野。私たちはどうすればいいのか。心と医療の橋渡しを問いかける神庭重信教授に、その胸中を語ってもらった。

医療の限界とはなにか

―昨年11月の学会で、医師の大きな務めは患者に希望を与えることだと話された真意は―

期待と希望は違うと思います。人生の下り坂や病いの下り坂で、自分はやがて死ぬだろうというような時でも、何らかの生きる意味を見出せることはできると思うんです。

絶望さえしなければ、最後まで命を輝かせることができる。そこに医師が踏み込むかどうかを問いかけたのです。今の医療は期待だけ持たせて、希望を与えることを考えていないのではないか。

期待が裏切られると、そこで行き詰まりますが、希望は与え続けられる。そこが僕のいう魂の分野、スピリチュアルの部分です。絶望への処方箋という意味です。

―「魂」は誤解されやすい言葉ですね―

特に日本の科学者や医師には、いかがわしいものであり、二元論で語ってはならないというような考え方があるから、今まで医療の中に入ってこなかった。

長く関心を持たなかったので思考停止に陥ってしまう言葉なんでしょう。醜いもの、こわいもの、自分の手に負えないもの、というふうになっている。

かつて医学はまじないだった時代があり、そこからの脱却として現代医学が生まれてきたので、元に戻ってしまうのではとの恐怖心があると思うんですよ。

でも科学とスピリチュアルのどちらを選ぶか、ではなく、科学の限界にこたえられるのはスピリチュアルしかないのではないか。しかし科学ではないからガイドラインができない。それをあなたたち医師はどうするんですか?と、先の学会で問いかけたわけです。

私自身、医師として臨床の場にある時に医学の限界を感じることがあります。あまりに救われない人たちを見た時に、医学を振りかざしても気持ちがおさまらない。その場面で患者さんと語り合える言葉は、最後はスピリチュアルな世界しかないのではないかという気がするんです。

―今の精神治療の分野でそれは行なわれているのですか―

それがもっと行なわれるべきだ、と言っているんです。でも行われない。

つまり、科学が限界になると、医者は「もう何もできません」と言うんです。期待が与えられないから、そう言わなければ嘘になる。へたをすれば訴えられてしまう。

それは、非常に科学的な姿勢ではあるけれども、医者の姿勢ではないのではないかと思うわけです。

でも外科医でも内科医でも、経験を積まれて、長年1対1で患者さんを診ている先生たちは、いろんなスピリチュアル・ケアを行っている。ある程度歳を重ねると、科学ではどうしようもないことを、身を持って感じるのかもしれません。そういった医師は少なくないです。

―今後はその方向に進むのでしょうか―

患者さんに希望を与えることやスピリチュアル・ケアに踏み込むことへの方向性は、ほとんどないのが現状です。それで悩む医師がいればまだしも、ほとんど思考停止してしまっている。そこから先はないんです。

生きる意味、死ぬこと、死後の世界を考えるなど、信念や信仰のようなものは学校でも生活の場でも教えず、アンタッチャブルになっていますから、今そこが壁になっているんですね。

―医療に限界が来たあとも、温かい目で患者を見るようなつながり方はないんですか―

そういったつながり方をしている人はいっぱいいます。意識が高かったり、生まれつき豊かな感性を持っている一握りの人たちが、吸い寄せられるようにして、科学に見放された人のそばに行っている。でもそれは個々に任されていて、多くの医師にとっては別世界のことです。あとのことは見ないようにしている。

でも医療者がみんなそうだとまずいので、医療とスピリチュアル・ケアの両方を身につけた医者が最後までずっと診て、あるいは自分の専門性を外れたらバトンタッチするのも構わないでしょう。科学者でも、最先端にいる人でも、ホスピスで働いている人でも、医師として、そこは共有しませんかという投げかけなんですね。

老荘思想のようなものを自分で作り出している患者さんもいるでしょうが、多くの人は自分の寿命が尽きるということもよく分からないまま、意識のレベルを落としながら、やがて亡くなる。そしてご家族も、ただ肉体が死んでいくのを見守るだけ、というようなことでしょう。

今の医学を考え直す時期はやがて来るように思います。時間はかかりそうだけど、日本の医学にもスピリチュアル・ケアの問題について考える時は来ると思いますね。

支えあえば自殺者は減る

―自殺者があまりにも多いですが、対策は?―

先ほどの話と同様、希望が持てない状況が多くて、実はそうじゃないのにそう思ってしまう。

「自分には先がない」と思い込み、絶望して衝動的に自殺を選んでしまう。希望を持ちにくい世の中になった結果ではないかと思います。

いま世界で自殺が多いのは東欧です。韓国も日本より多いんですよ。アフリカの男尊女卑の国だとか、中国でも農村部で女性の自殺率が高い。こういったことは、格差のひずみが弱者に及んでしまうからです。社会全体が、支えあってきた文化や精神性を軽視してきたツケが出てきているような気がするんですよ。

昨年度東北地方で、家や職を失っても、思ったほど自殺者が増えていないのは、皆が支えあって、国民が自分たちを気にかけてくれているという気持ちが持てるからです。その声が届いているかぎり、人は絶望しません。しかし日本全体を見ると、自殺していく人たちが、自分たちは関心を持たれているとか、あるいは支援する制度があるとか、そういったことから離れてしまっている。

現在は昔に比べて、なんとなく夕闇が迫っているような感じがします。経済成長ばかり言っているから、経済成長が暗くなると全部が暗くなる。

経済という指標だけで見ると今は黄昏(たそがれ)ですが、黄昏=絶望ではなく、若い人がもっと挑戦したり、いろんなことを自由に考えてもいいんだよ、というようなメッセージを社会が発信すべきでしょう。閉塞的な社会を変えていくのは常に若い人たちですから。失敗しても何度もチャレンジすることに価値を置く社会に変わってほしいと思います。そのための社会制度も必要でしょう。それらは同時に、いま追いつめられている人へのエールでもあるんですね。これからの社会はきっと、グローバル化の中で、日本人のいさぎよさだけでやっていくのは難しいでしょう。「失敗してもまたやり直せばいいじゃないか」という精神性が、今の競争社会の中で求められるスピリットだと思います。それがこれからの日本人のメンタリティになっていく。失敗してもまたチャレンジできる社会、それを良しとする社会、そしてそれのできる自分を作る社会になって欲しいですね。

一回しかない経験

―ちょっと尋ねにくいのですが、どんな最期を迎えたいですか―

死ぬ時ですか? うーん(笑)、イメージとしてはまだないんですよね。一番いやなのは、自分の死が分からずに死んでいくことかな。楽かもしれないけど。自分はあれこれ言ってきたけど、実際はどうなんだろうと...。1回しかない経験ですから、それを見極めたい。一番いいのは最後に何か一言家族に言って(笑)、「おじいちゃんはあんなことを言ってた」と。ありがとうと言うのか、また会おうと言うのか、何と言うか分からないですが、それを残したいですね。その一言が重いんだろうなと思います。でも不慮の事故もあるから、残った人が悔やまないために書き残しておくことも必要かもしれません。そういうものは、ある時が来たら書いておこうかなと思います。どう書くかは内緒ですけどね(笑)。


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