新年1月20日号の予定。
おもに医療系角界の年頭所感、院長に聞くシリーズなどです。2012年はいっそう記 事の充実に努めます。
以下は編集ブログより。
【脱皮】
7歳の時に信じたことを、50歳になってもなお信じていることはないだろう。
それは、7歳で着られた服を50歳になっても愛用しているようなものである。
脱皮はたえず必要だ。脱皮は多ければ多いほどよく、そのつど自分に似合っている。
ただし7歳で信じたことが、真理に近いことがまったくないわけではない。
そのとき人は脱皮しない。真理が脱皮を許さない。年とともに体に合わせて大きく強くなっていく。
【近鉄鳥栖駅前の二十分】
駅前はがらんとしていた。約束の午後二時まで二十分あった。
自転車の将棋倒しになる音が聞こえてふり返った。帽子をかぶった老人がうつ伏せになっている。
二十代の女性がひとり駆け寄って助け起こそうとした。でもなかなかうまくいかないようだった。
それを見て私は二人に歩み寄った。一方の手で老人の腕を抱くように持ち、もう一方を逆の脇に添えた。老人は「大丈夫」と言う。私はそれを無視し、手を貸そうとする女性に、「この人は私にまかせて、あなたは自転車を元通りにしてください」と頼んだ。あたふたしているのでもう一度くり返した。
老人はなかなか起き上がれなかった。こちらも強く引き上げはしなかった。
体がようやく自転車から離れ、また「大丈夫」と言った。でも上体はまだ水平で、 腰もふらついている。「気にしなくていいですよ」。そう言ってゆっくり起こした。 彼は「情けない」と言った。
ようやく体が起きたので、どの自転車かと聞いた。杖代わりに押していたと思ったからである。老人は、「タクシーに乗ろうとして」と言った。「でもなかなかつかまらなくて」。
目の前はタクシー乗り場である。一台がドアを開けて停車中だ。なるほど、それでここまで歩いてきたのか。
老人は私の介助でじわじわ歩を進めた。「申しわけない」。「大丈夫」。「なさけない」とまた言い、私は「これも何かの縁ですから」と応じつつ、なんとかタクシーにたどり着いた。
後部座席に座らせて足を中に入れながら運転手を見ると、顔をこちらに半分向けて、 目で舌打ちをしている。私と老人が自分の車の方に歩いてくるのを車中でじっと見ていたのである。私は少しむっとして、「明日のあんただ、ちゃんと運べよ」と言葉を叩きつけた。
タクシーが去ったあと、先ほどの女性がこちらに歩いてきた。黙って去るわけにいかず、父親くらいの年齢の私にどう対応していいかも分からない、そんな困惑が見えていた。
「大丈夫でしたよ」。そう私は言ってすぐそのあとに、「無事に家に着いてからあの世行き」と笑いかけると、娘は「えーっ」と目を丸くした。私なら言える冗談で、 この娘が言えば毒になる。
「あの爺さんは私なんですよ」。しかしその言葉は娘に伝わらなかった。
「私はいま五十八だからね、いずれあの爺さんになるんです」
これにも反応はなかった。うかつに口を開くと失礼になると思ったのだろう。
「だから私は、未来の自分を助けたんですよ。私が私を助けただけ。そしてあの爺 さんも、過去の彼から助けられた。ただそれだけ」
そこまで聞けば、あまり利発そうに見えない彼女にも飲み込めたようで、わずかながら深い目で私を見ていた。それに構わず私は続けた。「いつの日か私もああなる。 そしてだれかが助けてくれる。そのだれかとは、誰か。それは『善意』ですよ。私の生きざまが善意となって助けてくれる。だからあの爺さんも、彼の過去、つまり善意が彼に手を差し伸べたんですよ」。そう言いながら、今のままでは善意は私を助けないだろうと思った。それはいずれ、わが身を以って分かることである。
娘と別れて、あの娘が私の実の娘ならよかったのにと思った。だったらもっと分かってくれたはずだ。でも私が大病で入院するか危篤にでもならないかぎり娘は私の前に現れないだろう。私が娘に助け起こされることは、たぶんない。
携帯電話が鳴った。どうやら約束の相手が近くまで来たようだ。
【そばにいたければ、そばにいてほしければ】
好きな人にいくら寄り添っても、相手の心の中に入れてもらえなければ、そばにい ないのと同じ。相手の中にほかの人がいれば、その人の身がたとえ遠くにあっても、 たえずそばにいる。
その悲しみから逃れたければ、相手を自分の中に入れることである。そうすれば永遠に相手はあなたのそばにいてくれる。
【本望と不本意】
いま死ぬのは不本意だ。本望と言える日まで待ってくれ。
【言い替えてはいけない】
意思表示力が弱く、何ごとにもなかなか踏ん切りがつかないことを、「自分は人が 良すぎて損ばかりしている」と言い替えるのは良くない。
【猿と道具】
猿はさしたる進化をせず、道具(技術)は大きく変化した。
【荒野で】
荒野で、野良犬に石を投げて遊んでいる男を見た。
耳のそばをひゅっとかすめたり、
痛くないところにあちこち当てたり、
逃げようとすると前方に回り込み、
向かってきたら地面をどんと踏んでたじろがせ、
そうやって野良犬を思いのままに、右に左にいたぶってげらげら笑っていた。
私もなんだかやってみたくなり、小石を拾って投げてみた。そして思い切り噛まれた。
弱い犬ではなかった。私が間抜けだったのだ。
私は男に聞いた。そんな荒っぽいことがどうして平気でできるのかと。
「だれだってできるよ」。そう言って男が袖(そで)をまくると、腕には無数の古い噛み傷があった。
男は笑いながら足元の小石を拾いはじめた。
「もうちょっと下がって。そこじゃ痛いよ」
私はあわてて逃げ出した。
【視界(世界の終わり=The end of the world.)】
視界のせまい女がいた。 足元のまわり数メートルしか目に入らず、歩けば木は見えたし触れもしたが、森というものは生涯わからなかった。足に波は打ち寄せても海は知らず、鳥のさえずりは聞こえたが、飛ぶ姿を見たことはなかった。それはテレビの中だけのことで、そこには空も青々としてあったから、女はテレビを見ることをこ とのほか好んだ。
視界のそと、闇のどこかでだれかが嘆いていた。世界が壊れていくとしきりに叫んでいた。その声は、入れ替わり立ち替わりしながら、世界の失われつつあることを深刻に案じていたが、女の周辺は今までどおりだったし、声のある場所は存在していな かった。
それでもあまりにうるさいので、女はテレビのボリュームを上げ、コメディアンが相方の頭をくり返し叩くのを見て笑い、 相方が逆襲して、相棒の身体的弱点をするどく指摘し、スタジオの観客とテレビ局スタッフが大笑いする様子につられ、女もひざを叩いて笑った。
チャンネルを替えるとまたあの声が聞こえた。世界が壊れつつあるというあの声が。 それで女はすぐに番組を替えて声を黙らせ、 大口を開けてごちそうを詰め込んでいる胃袋女や、ずらりと並んで黄色い声で歌いながらマリオネットのように動く少女た ちを見て、たまに同じ仕草で踊ってみたりした。
そのようにしてテレビは女をよろこばせ楽しませ、ほとんど視界のすべてとなることもあった。やがて女は、目の前を行き交う人の中に身体的ハンデを負った人を見つ けると、鋭く指摘して高笑いしてやりたくなった。そうすれば相手も笑うはずだった。 そのような目で、テレビ局のカメラのような目で、女は狭い視界の中を見ていたから、 着ている服も、使う言葉も、ちょっとした動作も、テレビの中のだれかに、いつも少し、どこか似ていた。
【三艘の小舟】
三艘の小舟が川に浮かんでいる。
手漕ぎの小舟は休む間もなく櫂を漕ぐが、そんなに動くこともなく、結局川下に流される。
エンジンのある舟は自力で走り、自分の行きたいところまで進む。行き先は自分で決める。
風に祝福された舟は風にまかせて進み、風の選んだ場所に行き着く。行き先は風が決める。