第2回「もっと光を」
光は古来、人間がたえず求めてきたものであった。人は本能的に闇をおそれ、光の中で安心を感じる。
西洋の建築の発展は光を獲得する戦いでもあった。石造建築は壁が厚くないと構造が成立しない。古代ローマ、ビザンチン、ロマネスクの各時代を通じて、分厚い壁で囲まれた重々しく暗い内部の建築しか作れなかった。
やがて、サン・ドニ修道院の院長シュジェールが「精神がかつての滅亡から蘇るのは光によってだった」との考えからゴシック建築に先鞭をつけた。細い柱や尖ったアーチを用いることによって厚い壁を減らして窓を多く作り、初めて多くの光を建物内部に取り込むことができるようになったのだ。
現代では、光は当たり前のように感じられている。がしかし、ちゃんと快適に美しく採光されている建築は少ない。建築基準法の採光面積を満たせばよいという安易なものもある。光は、量だけで測られるのではなく、質で測られるべきなのだ。私は建物を設計する際、光をいちばん大切にしている。日中は太陽の光の移ろいを十分に感じ、夜は照明の光が穏やかに精神を落ち着かせるようにといつも考える。
あるクライアントの話。彼女は一人娘と住んでいたシングルマザーだった。色々困難な事情に耐え切れず、うつ状態になり、一時、心中を図った。幼い娘の首に手をかけた時に「お母さん、そんなことをしても何にもならないよ」という娘の言葉に我に帰り、思いとどまったという。しかし、生きる意欲がわかない。住まいのせいかも知れないと思い、半年かかって勇気を出して私のところに来た。私はその家を見た瞬間、ここでは生きてゆくのが辛くなるのがわかった。光が足りないのだ。そこで、将来のお金を残しておくために、新築ではなく改築にして、家中に光をふんだんに取り込めるようにした。その後、本人も明るくなって今では元気に生活している。光は人間の精神の健康に不可欠なのである。
建築に光を取り入れる際に大事なことは、やはり質である。
最近の住宅では、窓があってもすぐに隣家があり、光が入らないような窓がよく見られる。また、カーテン閉め切りの窓も多い。これは窓の方向や位置が悪いのだ。
光を取り入れるということは、周囲の環境の中で初めて可能なことであり、建物を作る際には光を計算して十分に位置や大きさを検討すべきである。光こそが人を健康にし、幸せを感じさせるのだから。
(鵜飼哲矢=建築家・九州大学大学院芸術工学研究院准教授)