図1 当紙の立場
当紙はこれまで学会と学問的権威者だけを取り上げてきたので、社会への貢献度と影響力は小さかった。今後は健常市民にまで裾野を広げるので、学会の紙面専有面積は小さくなり、社会的影響力は大きくなる。
この図を経営的に見ると、いかに専門性を誇ろうとも、地域や社会との関わりに目を向けなければ市場が小さくなることを示している。これを経営では「社外における多数派形成」などとも呼ぶ。
図2 当紙の役割
図のように「噛み砕き」と「吸い上げ」を行なうことが役割で、巷の人たちの思いや状況を吸い上げて紙面に反映させ、医療側の情報は噛み砕いて載せる。記者はその現場にいることになる。
この図は本来、管理職研修で使うもので、医療分野→経営陣、当紙→管理職、一般市民→一般社員に置き換えると、管理職の役割がわかる。
最近の実例として、同じ病院が期日の違う市民公開講座を2回開いた。当紙の問い合わせに対し、一方の担当者は講座が広く報道されることをよろこんだ。そして他方の担当者は、新聞社は来ないでくれと言った。噴飯の反応だが、こんな程度の人も医療の要職にいるのである。しかし彼の上司も部下も、情報を操作されて実体を見えなくさせられている。
結果的に前者はカラーで大きく載せ、後者は取材はしたが報道しなかった。懸命に講演した医師は載らなかった。共に担当者の思いが実現したことになる。
ちなみに当紙が一般市民のところに降りてしまうと、大手宅配紙の亜流となって存在基盤を失い、医療分野の中に埋もれてしまうと、噛み砕きが不要になって、必要自体を生じなくなる。
図3 記者の素質
自分が笑顔でありたいために、周囲の人にも笑顔になってほしい、そのような関わり方を記者はするべきだ。つまり周囲に泣き顔があれば自分も泣きたくなる、それが万人の健全な姿である。医師もむろんそうだろう。
しかし図4のように、周囲に泣き顔があれば幸せな気分に浸る人もいる。こういった人は、周囲の人が笑顔であれば泣きたい気持ちになる。そんな病的な人は記者に不向きだ。むろん不正や不条理にはきびしい態度で望むのは当然で、それは人の笑顔が減らないようにするためである。
新聞社に勤める人は誰でも腰に刀を差している。それは滅多に抜かないが、帯刀していることだけは知っておくことである。
記者に向ける周囲の人の笑顔が、刀を頼もしく思ってのことか、それとも恐れてのことか、記者はたえず自分に問いかける必要がある。
図5 知的労働時間
現業職(一般労働者)には、就労時間以外に仕事のことを考えたら損をしたような気になる人が多く、権利の主張は強い。逆に経営者や研究者には、四六時中仕事のことだけを考えている人が多数いる。行動学では、大将、参謀、兵隊といった分け方がよくされるが、それぞれの役割分担だから、どれが優れているというわけではない。
大切なことは全員が、その人の能力の範囲内で沸々と煮え立っていることで、これを「総員活化」と称する人もいる。冷めた人は周囲の熱を奪うことしかせず、決して熱くならない。
ところで、知的労働と記憶労働は混同されやすい。計画を立てたりデザインしたり、システムを作ったりするなど、知恵を絞るのは知的労働だが、それをワープロで清書するなどは記憶労働だ。したがって総務や経理も大半が記憶の反復労働(現場職)であり、記者の中にもそれは多い。
実際の現場には、図2とも関連するが、本来は現場職の方が適しているのに経営に携わっていたり、逆に、経営者や研究者としての能力が高いにもかかわらず現場で単純労働やルーチン・ワークをしている人もいる。