「建」、という漢字に人を加えると「健やか」になる。近年、健康をテーマにした住宅や建築が喧伝されている。誰もが反対はしない。でも、健康とは単なるスペックや機能の問題なのだろうか?高機能にすればするほど人はより健やかになるのだろうか?
私は、そのことに対して少々疑問を持っている。この数回の連載は、建築と人間の健康に関して、もっと本質的なことを問いかけてみたいと思う。
古代ギリシャ時代、建築と人間は今よりももう少し密接な関係があった。パルテノンなどギリシャの神殿を構築する柱と梁などの組み合わせは、建築用語ではオーダーと呼ばれる。秩序や比例という語源と一緒である。その建築の基本をなすオーダーは、実は人体の比例を基に作られている。力強く男性的な比例のドリス式、優美で女性的な比例のイオニア式などが代表例である。これらオーダーも建築の目的や種類によって選択が考慮され、18世紀頃にヨーロッパで大量に作られた古典様式の建築物でも、ベルリンのブランデルブルク門など国家を象徴するものにはドリス式、大英博物館など博物館や劇場などにはイオニア式というように、建築の中にも男女の性別があるかのごとくである。
このように、古代より、建築は人間の延長であった。建築には人格さえ備えているかのごとく存在した。また、大型の機械や運搬手段もなかったから、基本的に人間が自分の力で作れるものであったし、材料も身近に手に入れられる自然のものでできていた。まさに人間の延長であったのだ。
しかし、近代以降、 さまざまな発明によって建築は大型化・高層化・技術化してどんどん生身の人間とは離れた、いわば化け物のようになってゆく。文明として、あるいは生活様式の変化としてそれはそれで仕方ないのだが、原点は、建築は人体と離れてはいけないのだと思う。建築がどんどん人体と離れてしまうから現代人はますます不健康になってしまうのではないか。建築は中に人間がいるからこそ建築になるのであって、ただの大きな容器ではない。「仏作って魂入れず」という諺もある。建築と人間との関係をもう一度考え直すことによって、現代にあっても、人はもっと心の秩序や健やかさを取り戻すのではないかと私は考える。
(鵜飼哲矢=建築家・九州大学大学院芸術工学研究院准教授)