看護師爪切り事件をめぐって~患者・利用者のケアを考える
平成19年北九州市の病院で看護師の爪切りが虐待にあたるとして逮捕される事件が起きた。事件の当事者の上田さんは逮捕後102日間拘束され取調べや裁判を経て昨年10月の第2審で無罪が確定した。2月26日に行われた講演会では、事件を通して看護やフットケアを考える市民大学が九州大学同窓会館で行われた。
上田さんは弁護士と共に講師として出席し、事件後初めて自らの口で事件について語った。会場では有吉病院で実際に行われているフットケアの様子などの講演も行われ、参加者との意見交換が活発に行われた。
当事者報告 上田 里美 講師
事件当時の状況ですが、平成19年6月に療養型の東6階病棟に移動になりました。この病棟はどんな特徴のある病棟なのかを探りながら、患者さんともスタッフとも信頼関係を構築していかなければならないなと思い勤務しておりました。
そのときに、患者さんのケアとして爪切りを行ったことにより、大きな勘違いをされてしまい事件に発展してしまうという負の連鎖が起こりました。その後4月2日に傷害容疑で逮捕され、102日間拘置所で世間と隔離された孤独な生活を送ることとなりました。
裁判では第1審で有罪になったのですが、これはやっぱり違うということを患者さんの為・医療界・看護会の向上のためにも戦わないといけないという思いで控訴しました。その結果去年の10月1日に無罪が確定し、現在は看護師として働いております。今回の事件で様々なことを学びましたが、やはり患者さんのことが大好きだという気持ちが強くあったので今でも看護師を続けられているのだと思います。
周りの方からよく、どうして爪切り(フットケア)に興味を持ったの?と聞かれることがあります。初めは、ある患者さんの足のほうのシーツに血がついているのを見つけました。どうしてこんなところに血が付くのだろうと疑問に思っていると、その方の親指の爪がなくなっていることに気付きました。なんらかの弾みでひっかかって取れたのだと思います。
爪切りとは普通に行うべき看護のひとつなのですが、看護師として他の仕事を優先してしまったり、つい忘れてしまったりと後回しにされやすい看護行為の一つでもあります。しかしそのまま放っておくと、皮膚のらくせつが爪と皮膚の間に溜まって固く厚く肥厚していったり、伸びていくところが曲がったり、靴下が履けなくなったり、引っかかって取れてしまったりという事態を引き起こしてしまいます。そういう状態を改善する為に、患者さんの爪を観察するようになりました。
私が見てきた患者さんの爪のほとんどは私たちのようなきれいなピンク色の爪とは違い、肥厚したすごく厚みのある爪や、曲がったまま伸びて隣の指に食い込みそうな状態の爪でした。普通の爪切りとは違い、まっすぐ切れなかったり、切ったら崩れてしまったりするのでケアはとても難しいものでした。
爪のケアをするときに一番重要視したのが危険を回避するということです。剥がれたり隣の指を傷つけたりしないこと、歩くときや靴下を履くときに邪魔にならない程度までケアすることを心がけていました。
道具は、爪切り専用のニッパーと普通の爪切りを併用していました。皮膚と爪の間が分からないといった場合や乾燥しているときにはワゼリン・アルコール綿花で保湿させてから切るという方法をとり、身を切らないように、出血させないように心がけています。
最後に、切るときに粉がベッド中に飛び散りますので、カーペットローラーで掃除して終了です。
爪を切る目的は、安全な状態を保つということが第一です。そして、切ることによって患者さんにスッキリ気持ちよくなってもらいたいという思いで行っております。
そこで注意しなければならないことは、出血させないこと、患者さんが嫌がったり痛がったりしないことです。爪切り自体に痛みを感じるのではなく、寝たまま切る場合などは切っているところが見えませんので、見えないところで爪を切られる恐怖感があったり、認知症の方が爪を切られているということを理解できず恐怖心を持ったりそういう思いから痛みを訴えたり嫌がったりというこもがありますので、注意が必要だと考えています。
実際に裁判の時には、事件前に患者さんの爪がどのような状態にあったのか模型を作っていただき、どのような方法で爪を切ったのかを資料として提出しました。ニッパーで縦に切り目をいれたあと横から切って長さを短くしていくという切り方でした。
高齢者の爪は普通に横にニッパーを入れてしまうとヒビが入ったりして上手く切れないことがあるのでこういう切り方になりました。切っていくと、分厚い部分があったり、空洞ができていたりします。ダンボールのような構造を想像してもらうとわかりやすいと思うのですが、その隙間からニッパーを入れて、厚さを低くする為に切り進めていくという切り方でケアをしました。
実際事件になった患者さんの爪は、2枚爪のようになっており少し切ったところで上の爪がポロっと取れて、下から生えてきていた爪が半分残ったような状態になりました。患者さんの爪が安全な状態になることが爪切りの目的ですから、そのまま放置しておくと浮いたままの上の爪が引っかかって出血する恐れもありますので切ることで安全な状態にするという意味で適切な看護であったと思っています。
事件当初は、こんな大きな事件になるとは思っていませんでした。爪切りではなく爪剥ぎだと誤解されたことも、きちんと説明すればすぐに誤解は解けると思っていました。
しかし実際は逮捕され、裁判になりました。拘束されている状態で何も資料がない中で自分の行った爪切りについて分かってもらうというのはとても難しいことでした。そんな中、日本看護協会の理事の方が面会に来てくださいましたので私のケアについて説明させてもらいました。今回の事件で私が逮捕されることにより看護が萎縮してしまうこと、患者さんが受けたい看護が受かられなくなってしまう可能性があることの怖さを訴えました。
その結果看護協会の方も声明文を出したり書名活動に協力していただいたりいろいろ活動支援をしてくださいました。色んな方の助けがあり、第2審で逆転無罪となりました。
それでもまだ課題は残っています。私は看護師としてまた働くことが出来ていますが、北九州市では虐待看護師として認定されたままです。今もそれの取り消してもらう為の働きかけを行っています。
それから、今後私のような人を出してはいけないという思いが強くあります。第三者や警察から見れば少しでも出血していれば傷害とみられてしまいます。そういう状況の中で看護が萎縮してしまってはいけません。よりよい看護や介護を提供していく為にもこの事件を伝えていくこと、様々な活動を通して少しでも看護の向上のために役立ててもらえればと思っています。
弁護人報告 東 敦子 弁護士
私が当番弁護士として初めて上田さんにお会いした印象は、憔悴しきっている様子でとても小さく見えました。弁護するにあたって、高齢者の爪のケアについて、どういう状態の爪がケアとして適切なのかという知識もなく苦労しました。初めてみた爪の写真だけでは正しいケアであることを証明するのは難しかったので専門家の証人を探すことが大変でした。
第1審では爪を剥いだのか、切ったのかという争点整理が行われました。結果は爪切りだけれども傷害罪という判決でした。客観的な評価をせずに、主観面だけを取り上げられたことによる判決で、主観面(爪切り自体が楽しみ)の根拠となったのは供述調書のみでした。
控訴審の裁判では、爪の再現模型や写真・DVD上映など目で見てわかる立証を行いました。医療より幅が広い看護行為の正当業務行為性の判断枠組みをどう理解してもらうかという難しさもありましたが、結果は無罪となりました。
最後に、今回の事件で患者さんやその家族が悪いのではなく、事件を説明する過程や対応の中に問題があったことをお分かり頂きたいと思います。