"時代の記憶を残したい"
初の小説『母―オモニ』を上梓した姜尚中東京大学大学院教授=写真=が10月29日、福岡商工会議所の招きで福岡を訪れ「母を語る」と題して講演した。講演終了後、ベストセラー『悩む力』から2年ぶりの著書で自身初の小説となる『母―オモニ』について本紙の単独取材に応えた。連載3回目の「今月の1冊」は拡大版として著者インタビューをお届けする。
―― はじめに小説を書こうと決意されたきっかけを教えてください。
母の世代がいなくなり、時代の記憶が薄れています。日本中どこでもそうでしょうが、急激に開発が進み、熊本の私の生家も今ではアスファルトの下です。文字が読めず書けなかった在日韓国人の母が生きた「しるし」を虚構(物語)という形を借りて残しておきたいと思ったのがモチベーションです。5年前に母が亡くなり、私も還暦を迎え「母」という存在についてもう一度考えてみたいと考えていました。
―― 初めての小説を執筆される上でご苦労はありませんでしたか。
私は小説家ではないのでプロットが最終的にどこに着地するか分からない状態で書き始めました。ただ、技巧や小説の作法が分からないので作為的にならず、結果的には良かったかもしれません。書いているときは母や同時代の有象無象の存在に励まされ「書かされている」感覚が常にありました。
姜尚中著 母―オモニ
(2010年6月、集英社刊、四六判フランス装304P、1,260円)
―― ご自身のお母様の話を書くことに痛みや切なさは感じませんでしたか。
『東京タワーオカンとボクと、時々、オトン』のリリー・フランキーさんと対談した折、彼は書いている間「本当に辛くて痛かった」と話していました。しかし私は「三昧狂」の境地といいますか、先ほど申し上げたように一心不乱に「書かされている」状態でしたからそういった苦しみはありませんでした。
―― 今後、小説を書くご予定はありますか。
これからも物語を紡いでいくつもりです。最終的に三部作にしたいと構想を練っています。
―― 最後に本紙の読者へメッセージをお願いいたします。
医師に限ったことではありませんが抽象的な「生命」ではなく、本著を通じてより具体的な身体的感覚から生じてくるプリミティブな「生命」を感じていただけたらと思います。
また先生方には「知」だけでなく、数値化されない暗黙値で「人」を診てほしいと願っています。
(安東伸子)