九州医事新報社 - 地域医療・医療経営専門新聞社

この道より我を生かす道なし

この道より我を生かす道なし

鹿児島大学大学院医歯学総合研究科 耳鼻咽喉科・頭頸部外科学分野
山下 勝 教授(やました・まさる)

1996年鹿児島大学医学部卒業。
米ウィスコンシン大学、田附興風会医学研究所北野病院、
静岡県立病院機構静岡県立総合病院(京都大学医学部臨床教授兼任)などを経て、
2020年から現職。

 2020年5月1日付で鹿児島大学大学院医歯学総合研究科感覚器病学講座耳鼻咽喉科・頭頸部外科学分野第5代教授を拝命いたしました。伝統ある教室の運営ならびに鹿児島県の耳鼻咽喉科医療の将来を担う責務を痛感しております。

 大学としては臨床、教育、研究の3本柱のすべてにエネルギーを注がなければならないわけですが、まずは若い先生方が生き生きと仕事ができる環境づくりに注力したいと思います。このことが、患者さん中心の安全な医療の実現や次の世代の人材育成につながっていくことと信じています。

 小学生の頃からボーイスカウトでの奉仕活動などを、積極的に行ってきました。その頃から、漠然と「人のためになることが、自分の仕事になれば良いな」と考えていたことを覚えています。高校時代には、大学工学部を志望。当時、工学部に新設の情報工学科などが出だしたところで受験をしましたが、願いはかないませんでした。

 私が医師を目指した直接のきっかけは、受験に失敗した直後に母が他界したこと。今思えば、末っ子長男の私を母はとてもかわいがって育ててくれました。当時は本人にがんの告知をしないのが常識でしたので、母の病状が分かっているのに何もできなかったもどかしさは、今でも忘れません。

 本人もすぐに退院できると思っていたに違いありません。結局、スキルス胃がんのため、母は発症から半年で亡くなりました。今考えれば、当初から遠隔転移もあり、もちろん手術適応はないのですが、当時は医学的知識がまったくありませんでしたから、こんな患者にも手術ができる外科医になろうと思いました。

 1990年に鹿児島大学医学部に入学し、1996年に卒業。最終的には内科的にも外科的にも治療ができ、研究領域が多岐にわたるという思いから、耳鼻咽喉科・頭頸部外科を選択しました。卒後は、京都大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科教室にお世話になりました。

 以降、大学病院および五つの関連病院(静岡市立静岡病院、西神戸医療センター、草津総合病院、田附興風会医学研究所北野病院、静岡県立総合病院)での勤務、大学院博士課程での研究、米国ウィスコンシン大学への留学とさまざまな経験をする機会を得ました。このように最長でも4年での異動を繰り返してきたことから、引っ越し業者の方にも度々「ベテランですね」と言われてしまいます。

 この度、24年の時を経て久々に母校に帰ってきました。当時と異なり、九州新幹線が開通し、街もにぎやかになっています。しかしながら、桜島からの火山灰だけはまだなじめません。おそらくこれからも…。

 臨床医として常に判断基準としていることは、「患者さんが自分の家族だったら?」と考えながら治療方針を決めることです。さまざまな持病や社会的多様性を持った方々を治療していくわけですから、さまざまな視点から物事を判断して、総合的に最良と思われる治療を選択していくことが必要です。

 教育者としては「相手がなぜ分からないのかを分かる」、あるいはそう努力することを大切にしています。自身の知識を披露するだけでは相手はこちらの情報に興味を持ってくれないかもしれません。

 研究者としては、「当然のこと、絶対にできないこと」という固定観念を疑うことです。いまだ研究者としては道半ばですが、絶えず疑問をもち、解決策を考え続けることが重要なことと思います。ぜひ、若い先生方に「まずは研究に触れてみる」機会を提供し続けたいと考えています。

 医師免許も専門医も学位も指導医も、すべてはゴールでなく通過点です。その山の向こうに何があるのか? ワクワクしながらどんどん進んでいくような後進を多く育成したいです。

 「この道より我(われ)を生かす道なし この道を歩く」武者小路実篤

鹿児島大学大学院医歯学総合研究科 耳鼻咽喉科・頭頸部外科学分野
鹿児島市桜ケ丘8-35-1
☎️099-275-5111(代表)
http://www.kufm.kagoshima-u.ac.jp/~ent/

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