近代ホスピスの5人の母|鐘ヶ江 寿美子

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にのさかクリニック・バイオエシックス研究会 米沢慧「いのちを考える」セミナーより

 超高齢社会を迎える日本は多死時代に備え、日本的なホスピスを確立する必要性に迫られている。にのさかクリニック(二ノ坂保喜院長=福岡市)のバイオエシックス研究会・「いのちを考える」セミナーで、「ホスピス」について考える機会を得た。

ホスピスの3つの語源

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 セミナー講師である評論家・米沢慧氏はホスピスの語源を3通り挙げる。

 1つはラテン語のホスピテイウム=hospitium。中世ヨーロッパの修道院が、巡礼による疲労や病気で弱った旅人に食事と一夜の宿をもてなした宿泊施設に由来する。2つ目はホスぺス=hospes。客・異邦人を意味し、「歓待、親切に人をもてなす」のhospitality はこれから派生している。3つ目は福音書にある「もっとも小さい者」にした愛である。

 米沢氏はホスピスの萌芽とその意味を考えるため、「近代ホスピスの5人の母」と称される、マザー・メアリー・エイケンヘッド(1787〜1858年)、フローレンス・ナイチンゲール(1820〜1910年)、シシリー・ソンダーズ(1918〜2005年)、キュプラー・ロス(1926〜2004年)、マザー・テレサ(1910〜1997年) の偉業を、歴史的、宗教的背景を踏まえて説明した。

 ホスピスケアの原点を創ったマザー・エイケンヘッドとインドの「死を待つ人の家」で有名なマザー・テレサはカトリック教徒であった。近代看護の誕生に貢献したナイチンゲール、近代ホスピスを確立したソンダーズ、死の受容のプロセスを著したキュプラー・ロスはプロテスタントであった。

マザー・メアリー・エイケンヘッドとマザー・テレサ

カトリックと近代ホスピス =実践の中で継承される力

 エイケンヘッドは19世紀のジャガイモ大飢饉に端を発したアイルランドの様々な社会問題の中、アイルランド愛の姉妹会を創立し、多岐にわたる修道会活動を行い、都市の貧民労働者のために精力的に公衆衛生や救貧病院の看護等に携わった。彼女の言葉に「死にゆくひとの姿かたちをホームのなかで受けとめていくこと」とある。どのような人も「受けとめる」という彼女らの強い覚悟が感じられる。

 エイケンヘッド以前の15世紀、代表的なカトリック寺院ホスピスであるボーヌ施療院では、死にゆく貧しい人を無条件で迎え入れ、修道女が身体の癒しやケアのほかに「霊的な渇きを満たす」というスピリチュアル・ケアを行っていたという。米沢氏は、カトリック系のホスピス活動は「実践の中にある継承される力」と特徴づける。中世の流れを受け、エイケンヘッドのホスピス活動も実践の中で継承されたものであった。

 マザー・テレサは旧ユーゴスラビア(現マケドニア)の出身であるが、アイルランドのロレット修道会の修練女としてインドに向かった。マザー・テレサの「100の言葉」に「(悩んだり、苦しんだりしている)その人の中にイエスがいる」、「全ての人が私にとって、たった一人の人です」とある。筆者は1984年、マザー・テレサの「死を待つ人の家」を訪れた。猛暑の中、地元カルカッタの人々とともに全世界から集まったボランテイアの人々がシスター達の指導のもと熱心に働いていた。今思い返すと、そこはホスピス運動の実践の場であった。マザー・テレサの考えがシスターらに浸透し、カルカッタ市民やボランテイア活動をする若者に受け継がれていた。

 中世のホスピスでは宗教的使命感に支えられた介護者(修道女)による霊的サポートもカトリック系ホスピスの大きな要素であったと推察する。「死を待つ人の家」でも、シスターらは死に瀕したインドの貧しい人々のため誠心誠意つくしていた。中世のホスピスの理念が、近代のエイケンヘッドへ引き継がれ、それが現代のマザー・テレサの施設に継承されていた。

フローレンス・ナイチンゲール

プロテスタンテイズムと産業革命

 19世紀のイギリスにおける病院の誕生には産業革命が背景にある。同時代、マックス・ウェバーらにより資本主義が確立されたが、彼の代表的論文「プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」にある「富を得ることは皆に還元され、善行である」という考え方は15―16世紀の宗教革命によるカトリックに対するプロテスタントの対抗に基づいていた。マックス・ウェバーは西洋近代文明の根本的原理を「合理性」と仮定しているが、近代看護の母ナイチンゲールがプロテスタントで、彼女の著書「看護覚書」において合理性が随所に認められることは興味深い。

 看護覚書には「患者のすがたかたちを看て自然がもたらす回復への過程を妨げないこと」と示されている。ナイチンゲールは行政官であったキャリアを生かし、統計学的データをもとに病院の環境整備に公衆衛生的視点を導入した。回復期施設を病院と別にすべきとする彼女の考察は、現在の(在宅復帰をめざす)療養型施設に通じ、彼女の先見の明を感じる。看護に科学的知見が取り入れられ、それまでの修道女による宗教的価値観に基づく献身的な看護と一線を画している。すなわち「職業としての看護」が確立された。ナイチンゲールは「カトリックのナースは献身的であるが、あまりにも無力である」と言いながらも、カトリックのナースの献身的強さも評価していたとされる。も評価していたとされる。

シシリー・ソンダーズ

近代ホスピスの確立とホスピスの医療化

 今日のホスピス運動は1967年にセント・クリストファー・ホスピスを創立したソンダーズの足跡とともに語られる。ソンダーズは看護師、医療相談員、医師とキャリアを積み、「ホスピスの原則」を、「近代の医療技術の力を導入した〈いのち〉への配慮と死にゆく人たちの〈ホーム〉がひとつになった大きな約束ごとと定め、①患者を一人の人間として扱う、②苦しみを和らげる、③不適当な治療の回避、④家族ケア―死別の悲しみへのサポート、⑤チームワークを挙げた。ソンダーズは疼痛緩和に薬物療法(医療)を取り入れ、同時にホスピスは〈ホーム〉(家庭)であると脱病院化をはかった。ソンダーズのホスピスでは、看護師に疼痛緩和に関する責任ある役割がもたらされ、これはナイチンゲールの「職業的看護」の発展した形ともとらえられる。同時に、彼女は「ホスピスは出会いの場である」とし、エイケンヘッドが作った〈ホーム〉、すなわち「人として生きる場」としてのホスピスを目指した。近代ホスピスは、プロテスタント的な科学的看護と、カトリック的な霊的サポートを担う「受けとめる」看護が融合したものと解釈できるかもしれない。

市民ホスピス運動へ

 近代ホスピス運動を振り返り、如何なる病気や障がいがあっても、社会経済的背景が複雑であっても、全ての人が自分らしく生きることを支えるために、「逃げないで受けとめる人と場所」がホスピスの原則の一つと再認識する。最後を過ごす場所が自宅であっても、施設であっても、病院であっても、傍で見守る人が家族であろうと介護専門職であろうと、属するコミュニテイの中で、ホスピスの原則は一貫したものであることが理想である。医療人としてコミュニテイにおけるホスピス活動を支えるには、近代ホスピス運動でナイチンゲールやソンダーズが科学的視点を尊重したように、症状緩和、栄養ケア、感染対策、生活リハビリの推進、患者家族、介護・看護関係者への情報提供と教育は必須と考える。また、カトリック系修道女が継承した「もてなしの心」やスピリチュアル・ケアは、患者さんやその家族の方々との人間的なつきあいの中で大切にしなければならない視点である。

 ホスピス運動を市民に継承するには、市民に「自分らしく生きること」を真剣に考え、自分にとって最良な医療や介護を選択する重要性を啓発する必要がある。次回は米沢氏が語る市民ホスピス運動についてレポートする。


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