大規模訓練を重ねて災害に強い病院を目指す
1980年徳島大学医学部卒業、同泌尿器科学教室入局。高松赤十字病院泌尿器科、医療法人尚腎会高知高須病院副院長、麻植協同病院(現:吉野川医療センター)副院長などを経て、2009年から現職。
「環境の良さは国内屈指だと思っている」と語る橋本寬文院長。大河・吉野川や昭和の日本名水百選である「江川の湧水」など美しい自然に囲まれている。そんな地で、1947年開設の麻植協同病院が建物を一新し、「吉野川医療センター」としてスタートを切ったのは2015年5月のこと。合言葉に「勝ち残る病院」を掲げている。
―院長が心掛けているのはどのような点でしょうか。
いつも職員に伝えているのは、私たちが目指すべきなのは生き残りではなく「勝ち残る病院」でありたいということ。現状に満足するのではなく、常に医療やサービスの質の向上を目指そうというメッセージを込めています。
麻植協同病院から吉野川医療センターとなって以降、手術件数、外来患者数ともに右肩上がりです。救急車による患者搬送数は旧病院と比較して年間で1000件ほど増加しました。2017年度の実績は2456人。県内の医療機関で4番目でした。
これからの課題の一つとしては「救急科専門医の確保」があります。現在は救急看護認定看護師と各科の医師が輪番制で救急患者に対応しています。急性期病院である当院には、増加が予想される救急患者に対して、より体制を整える必要があると思っています。
―地域での役割をどう捉えていますか。
旧病院から引き続き「災害に強い病院」を強く意識した病院づくりに力を入れています。
徳島県には当院を含めて11のの災害拠点病院があり、その多くが海に面しています。南海トラフ大地震で予想される津波の水位は最大で20・9メートルにも達します。甚大な被害により、複数の災害拠点病院の機能が停止してしまうことが懸念されています。
県東北部に位置し、津波の被害を免れる当院が災害拠点病院の中心となって被災した傷病者を受け入れることになります。当院の広めのエントランススペースは、甚大な被害を想定した設計としています。
また、これまでに4回、行政、消防、地域の医療機関と共に大規模な防災訓練を実施しました。
各医療機関の災害時の院内対応、県内各地からの被災者の受け入れや搬送、関係機関の情報共有の方法などを定期的に確認し、防災体制の強化に努めています。訓練を重ねるごとに、各機関のつながりだけにとどまらず、職員「一人一人」の意識の高まりも感じています。
1994年に受け入れをスタートした腎センターでは、およそ200人の血液透析を行っています。透析患者一人につき、一度の透析で約120リットルもの水を使用します。災害時は、いかに水を確保するかが重要です。
当院、徳島県透析医会、患者会で年に3回、災害時の透析患者さんの対応に関する会合を開いています。
自治体ごとの水の確保に関する協議をはじめ、ハザードマップを踏まえた透析患者の移送方法、災害によって機能が停止した医療機関からの医療スタッフの受け入れ。さまざまなトラブルが起こり得ることをイメージして、万が一の際に具体的にどう動くのかを話し合っています。
―今後は。
旧病院のころも含めて長く受け入れをストップせざるを得なかった分娩の受け入れも、移転後に再開することができました。年間でおよそ200件の分娩に対応しています。
当院は、ここ吉野川市内で唯一の分娩施設です。また、医師の対応や設備の充実度といった側面でも好意的な口コミが広がっているようで、分娩件数は着実に伸びています。
もちろんうれしいことですが、同時に常勤医師をどう確保するかという問題は産婦人科でも抱えているのです。良質な医療を継続的に提供していくには。しっかりと考えて答えを見つけたいと思っています。
徳島県厚生農業協同組合連合会 吉野川医療センター
徳島県吉野川市鴨島町知恵島西知恵島120
TEL:0883-26-2222(代表)
http://ja-ymc.jp/