産み、育て、働き続ける女性が暮らしやすい京都に
1995年京都大学医学部大学院修了(医学博士)。京都大学医学部附属病院産婦人科などを経て、1996年から現職。
1902年、東京大学で学び京都府立医科大学医学部産婦人科学教室の教授も務めた足立健三郎が開設した足立病院。約120年の歴史を継承し、「女性の一生をサポートできる病院にする」と奮闘するのが6代目・畑山博院長だ。
―病院の成り立ちを教えてください。
当院の初代院長である足立健三郎先生(在職期間1902年〜1921年)は、ドイツで西洋医学を学んだ経験から「日本の産科医療は欧米と比較して後れを取っている」と痛感したそうです。そこで「近代的な病院を」との目的で設立されたのが当院でした。
私が院長職に就いたのは1996年。まだ30代半ばのときでした。前院長の今井嘉春先生から声をかけられたときには、思わず「なぜ私を?」と聞いてしまいました。というのも、大学から派遣されていた医師は他に何人もいたからです。
今井先生がおっしゃった答えは「その中で最も若いから」。産科医療をはじめ医療機関を取り巻く状況の変化を敏感に感じ取っていた先生は、きっと若さこそ時代を乗り切るカギだとお考えだったのでしょう。
先生と交わしたのは二つの約束です。「足立病院」という名前をこれからも守っていくこと。そして、院長を退くことになったときには、必ず次に院長となる人材を決めておくこと。歴史を途絶えさせないために大切なことです。
―力を入れてきたのは。
院長に就任した私が目標として掲げたのは次の四つの項目でした。「京都で一番の分娩数を目指す」こと、「小児科」と「不妊治療センター」を開設すること、そして「障害児保育」の取り組みをスタートさせることです。
まず、就任当時の当院の分娩数は減少に向かっていました。年間で100例程度と、十分な数とは言えない状況にあったのです。
そこで、地域の女性をはじめ、企業、診療所などを対象にした講演会を積極的に開催。改めて「当院の歴史や良さを知ってもらうことから始めなければ」と考えました。
現在、少しずつ進めてきたさまざまな取り組みがつながって、好循環が生まれつつあります。京都市の分娩数は年間で約1万。当院とグループ病院の第二足立病院を合わせると、そのうち2000件ほどに対応していることになります。
2002年に小児科、2003年に不妊治療センターをオープン。ライフスタイルの変化、高齢化などを背景に2010年、生殖内分泌医療センターへと発展。年間で5000件ほどの体外受精・胚移植を実施しています。
2011年には検診センターがオープンし、子宮がん検診、乳がん検診の診療体制を強化しました。「女性の一生を支える足立病院」というイメージが、着実に根付いてきているのではないかと思います。
2014年、在宅医療部も始動。近隣の医療機関や介護施設などと連携し、在宅で自分らしい生活を送れるよう支援しています。現在、300人ほどの患者さんを診療しています。
当院で出産し、この地域で子どもを育て、一生を終える。女性が「ここで暮らして良かった」と思える街づくりに貢献できたらと思っています。
―子育て支援の取り組みの中で感じることは。
2015年に小規模保育事業所「あだちほいくえん」、2018年4月に京都市認可の大規模保育園「御所の杜ほいくえん」を開設しました。
つくづく感じているのは「現代の子育て」の難しさです。働く母親たちは、早朝から深夜まで時間に追われています。子育てが楽しいと思えたり、もう一人子どもを産みたいと望んだりできる環境にはない。
国は「労働力の確保」という観点に偏りすぎてはいないでしょうか? 行政や企業に問題を提起していきたいと考えています。
医療法人財団今井会 足立病院
京都市中京区東洞院通(間之町)二条下ル
TEL:075-221-7431(代表)
http://www.adachi-hospital.com/